東京に行きすぎることはないのよ

照史くんの舞台を見に東京へ行った。一泊して帰る予定だったけれど、次の日が仕事になったので、日帰りにした。弾丸も弾丸で、舞台を見る以外はスタバでお茶を飲むことしかしていないけれども、それでも街の空気を吸って歩いてなんだか不思議と気晴らしになった。

相変わらず東京の地下鉄は難しく、「直通」の意味が理解できていなくて降りる必要のない地下鉄から降りたり、「連絡通路」が理解できていなくて出る必要のないホームから出たりした。Kindleでパラパラ見ていた「甘味特集」で、尾上松也さんが紹介していたパレスホテル東京のマロンシャンティがむちゃくちゃおいしそうに見え、朝、羽田空港から直接行って食べようと思い大手町で降り、地下通路からホテルに入ったら、ラウンジの立てメニューに「土日祝日の朝は、ご宿泊のお客様のみのご利用となっております」的なことが書いてあり、すごすごと退散した。知らなかった……。知らなかったうえ、なんだかとても素敵なホテルで、普通のカジュアルでロビーに立っていること自体が恥ずかしかった。もう少しちゃんとした格好ができるようになったら食べに行きたい。それか、テイクアウトかな。

そのあと、それならこっちに行ってみようと、「喫茶you」のある銀座まで地下鉄に乗った。マップを見ながら、松屋付近でなんだかものすごく迷い、ぐるぐると松屋の周りを回り続け、やっとたどり着く。

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無念、行列……。このときもう11時半。13時に六本木で待ち合わせだったので、並ぶのもあきらめた。松屋の近くにあったスターバックスに入って、チーズケーキとほうじ茶を頼んだ。レジのお兄さんがものすごく素敵な笑顔で接客してくださり(ストールを巻いていた私を見て”寒いですね!”と超かわいい寒い仕草をしてくれた)(自分でもちょろいと思うがこういうことをされるとときめいてしまう)、街ってすばらしいな……と思った。

そのあとよろよろと六本木へ向かい、六本木から六本木EXシアターへ行くまでにもうひと迷いし、へとへとになって劇場にインした。膝が笑っている……。

黒柳徹子さんの主演舞台だったので、ご年配のご夫婦がいらっしゃったり、徹子さんの熱心なファンと思しきご婦人がいらっしゃったり、新鮮だった。私の前に座っていらっしゃった女性4人は、純粋に舞台がお好きらしく、パンフレットを見ながら「この子がジャニーズ?」「ぽくないね」「もっと若く見えるね」「太鳳とドラマに出てたから私は知ってるわよ」とお話されており、そうです、あなたの太鳳とドラマに出ていたんです……と心の中でうなずいていた。舞台の感想はまたいずれ。照史くんの舞台で久しぶりに泣かなかった。強くなった気がした。

終演後外に出ると、もう薄暗かった。飛行機は19時ごろだったので、余裕もなく、その足ですぐ羽田に向かった。ベルンのミルフィーユを家族のお土産に買い、保安検査を抜け、ものすごく端っこにある搭乗口行の、バス待合所への歩く歩道に乗った。大体山口行は搭乗ロビーの一番端。あまりにおなかがすいていたので、搭乗口へ行くまでのショップを全部のぞいて、おむすびやサンドイッチのちょっとつまめるものがないか見て回ったが、何にもなかった。お弁当はあるけれど、疲れていてお弁当ひとつを食べる力がなかった。結局、最果てのショップにあったベーグルの最後の一個を買って、待合所で急いでモソモソ食べた。東京らしいもの、何も食べられなかった……。

帰りの飛行機は、誰かがお酒を飲んだ後の匂いがした。結婚式とかだろうかと思った。ギリギリに取った飛行機の席は、三人掛けの一番窓側。通路側に一人男性が座っていたけれど、間が空いていて快適だった。

舞台のことを思い出していたら、気づかないうちに雨が降ってきて、飛行機の翼が濡れていた。なんだか切なくなってしまい、機内放送でAimerの「Black Bird」を聞いていたらちょっと泣いてしまった。閃光にやかれたデヌーセ少佐。それでも生きている、生きなきゃならないデヌーセ少佐。それを演じた照史くん。愛おしくて救われて少し悲しい。やっぱり照史くんのことを尊敬するし、ああ好きだなと思った。思いながら飛んでいた。

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かわいいうえに生意気だ

猫がうちに来てもうすぐ2年になる。ある日、職場の先輩が「トンビにつつかれて死にそうやったけ、連れてきてしもうた」「誰か飼う人おらん?」と連れてきたのが、まだ手のひらサイズの「うみ」だった。黒ともグレーともつかない不思議な色をしていて、段ボールの中で元気にうろつき鳴いていた。

そっと箱の中に手を差し込むと、私のカーディガンをがしがしと昇ってくる。私は家族に「連れて帰ってもいい?」と確認して、「こみねが飼うならいいよ」と返事をもらった。不思議な感覚だった。自分が動物を飼うなんて。段ボールの中に水とえさ(家が近所の猫飼い社員が持ってきてくれた)を入れ、うみを待たせ、定時になったら職場を飛び出し動物病院へ行った。 元気な生後2週間の雑種だった。

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うみはムクムクと育った。膝にのせても重さを感じなかったころを過ぎ、今はもはや膝からはみ出す。抱いていると重い。子猫のころのおもかげを残しつつ、顔の丸い、幸福そうな猫になった。よその猫もみんなかわいいと思うが、なんだかうみのことは特別かわいく感じる。これが親心なのか……と思いつつ、毎日うみの抜け毛をコロコロで取っている。全然嫌じゃない。

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猫より犬派だった父は、あまりに小さいうみを見て、しばらく「この猫は小さすぎんか」「大丈夫なんか」と心配していたが、一緒に昼寝をしたり、手からエサをやったりするうちに、すっかり猫派……もとい「うみ派」になっていった。父が帰ってくるバイクの音がすると、うみは玄関まで走って行って出迎える。

ずっと猫を飼ってみたかった母は、うみを非常にかわいがった。太らせないようにエサの量を管理したり、スーパーで見かけたおもちゃを色々と買ってきたり。うみもそのかわいがりを素直に受け止めて、夜は毎日母と寝て、食後は母の膝の上でねむった。

うみが家に来てから、会話が増えた。私は日中家にいないので、家にいる母が「今日のうみくん」を毎晩報告してくる。しゃべったとか、寝方がかわいかったとか、そういうことを毎日聞いている。父と母には共通の話題があまりなかったが、「うみ」という共通の話題ができたことで、前より楽しそうにワイワイするようになった。

私は、うみを中心に話している父と母を見ると、「もしかして、私を育てていたときの父と母はこんな感じだったのかなぁ」と思う。平易な言葉で話しかけ、何かができたら褒めてやり、しきりに写真を撮る。年賀状にも載せる。私はもちろん両親が私を育てていたときのことを覚えていないけれど、なんとなく、今それを俯瞰から見ているような感覚がする。たまに私のことを「うみ!」と呼んだり、うみのことを「こみね!」と呼んだりするので、その感覚はあながち間違いでもないのだと思う。

現に、私はうみから1番尊敬されていない。多分姉弟くらいに思われているのだと思う。拾ったのは私なのに……と思うが、うみにとってそれはまったく関係のないことで、うみには父と母がエラいのである。日中家にいてごはんをくれる母が1番エラく、たまに「ちゅーる」をくれる父が2番目にエラく、トイレ掃除をする私はあまりエラくない。猫なんてそんなもんなのである。かわいいうえに生意気だ。

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深夜に帰ったらすること

最近(特に週末)深夜帰宅が多く、ほんとーーーにまずいことだけれど化粧をしたまま寝てしまうとか、帰ってきた恰好のまま、リュックを背負ったまま床で寝てしまうとか、そういうやばい出来事が多くなってきたので、自分的「とりあえず化粧を落としてシャワーだけは浴びて寝る」テクニックを、自分のためにまとめておきたいと思います。日本全国の寝落ち女子、ノウハウを教えてくれ~~……。

 

絶対にやってはならないこと

  1. とりあえず座る(横になる)
    マジで座ったら最後、次我にかえったときは朝だと思ったほうがいい。ちょっと休憩してシャワー……とか甘いからな! 絶対に座るな、座るならシャワーを浴びてから座れ、どんなにおなかが空いていても深夜帰宅後すぐに食べるため座るのはやめてください。ソファに横になるのはもはや論外。

  2. とりあえず部屋に行く
    お前の部屋ベッドくらいしかないんだから、部屋まで行ったら絶対ベッドに転がっちゃうだろ?転がったら寝るだろ?朝だろ?終わりじゃん。
    荷物があってもまったりしたくても、とりあえず部屋に行くのはやめてください。

  3. とりあえず冷蔵庫を見る
    これは上ふたつとはちょっと流れが違うんですが、深夜に冷蔵庫を見る=暴飲暴食の引き金でしかないのでやめてください。台所の滞在時間はなるべく短くしてください。視界に食べ物を入れるんじゃない。

 

帰宅後行うことの手順

  1. 風呂場に直行する
    どんなに荷物がたくさんあっても、どんなにおなかが空いていても、リビングに入ってよっこらしょと腰を下ろしてしまったら最後なので、とにかく一瞬たりとも座らず、寝っ転がらず、何もかもを差し置いて風呂場へ直行して服を脱ぐ。
    もちろん服を脱いだら化粧を落としてシャワーを浴びてください。
    冬季はもちろんお湯に浸かってかまわないけれど、寝るのを避けるために、お風呂のふちに「あ~~~」と寄りかからないでください。

  2. 即髪を乾かす
    部屋にドライヤーを持って行って髪を乾かそうとすると、髪を乾かす前にベッドに「ちょっとだけ……」と横になってしまい、そのままとうもろこしのひげみたいな頭で目を覚ますことになるので、部屋で乾かさないでください。
    ヘアオイル等は全て風呂場の洗面所に置いておいて、シャワーが終わって体を拭いたらその場で髪を乾かしてください。
    ちなみに、帰宅後風呂場に直行するため、寝間着の類を風呂場に置いてから家を出るか、もうなんなら風呂場から部屋まで素っ裸で移動してもかまいません。深夜なので家人は誰も見ません。帰宅後部屋に寝間着を取りにいくなどという愚行は犯さないでください!! とにかく帰宅後即シャワーが鉄則です。

  3. スマホの充電
    シャワーが終わったら、洗面所に置いていたバッグ等を持って部屋へ。
    部屋へ入ったらすぐ、コンセントに挿しっぱなしにしているライトニングケーブルへスマホを接続して、サイレントモードを解除してください。
    もうこれで「化粧をしたまま寝る」「スマホの充電不足で毎朝のアラームが鳴らない」というふたつの激ヤバやらかし峠は越えたので、もしもうここで死にそうであればここで死んでください。

  4. スキンケア
    スマホ充電後、まだ余力がありそうならスキンケアをしてください。
    化粧水ではなく乳液からつけて、朝起きたとき顔がパッサパサでつらくならないようにするとよいと思います。化粧水だけで力尽きると、わざわざ頑張ってスキンケアしたのにあんまり意味がないパサパサ加減なので。

  5. 寝る
    ここまでフルコースでできたら自分のことを褒めていいです!本当は洗濯もしたいし手帳も書きたいかもしれませんが、とりあえず10分でも多く寝てください。

 

 

万が一座ってしまったときは?

万が一「座らない」という鉄の掟を破って座ってしまった、そしてそこから立ち上がれない……というときは、化粧だけでも落としてください。

 

 

ズボラボ 夜用ふき取り乳液シート 35枚

ズボラボ 夜用ふき取り乳液シート 35枚

 

部屋にもダイニングにもふき取りのメイク落としがあるので、今すぐ寝たいお前のために過去の私が用意しておいたので、とにかく化粧だけは落としてください!未来の私を守ってくれ!


スマホは残り10%でも、バッテリーが残ってさえいればアラーム鳴るので、0%でシャットダウンしている状態でなければそのままでも大丈夫です。
ただ「ベッドでアラームかけずに寝落ち」は寝坊のリスクが高すぎるので、ベッドで寝落ちしそう、かつスマホの充電がまったくなければ、なんとかベッドから手を伸ばしてライトニングケーブルを引っ張って接続してください。頼んだぞ! ダイニングで寝落ちするときは、多分猫かお母さんが起こしてくれる(もしくは体が痛くて起きる)ので、大体なんとかなります。

 

 

音楽劇「マリウス」おぼえがき

海のにおいが濃すぎる日は、なんだか吐き気がしそうになる。潮のかおりというより、生臭い血のような、DNAを極限まで煮詰めたような、とにかく嗅覚が処理しきれない濃密さで脳に迫ってくる。
そんな日に、係留されて港でぷかぷかと浮き沈みしている船を見ていると、たまらない気持ちになるのである。ちぎれてどこかへ行ってしまえばいい。私は船を運転する資格を持っていないけれど、このかわいそうな小船に乗って、エンジンを回して、転覆してもいいから沖まで出てしまおうかと思う。

 

ファニーという、かわいらしくてひたむきで、個人のノスタルジアを詰め込んだような女の人間は、この舞台を観る人観る人それぞれの「故郷」なのだと思う。いとおしくて突き放せない。愛していて願いをかなえてやりたいという気持ちになる。けれど、手放さなければどうにもならないと思い詰めることもある。

 

自分勝手に、何もかも捨てて、忘れて、生きることができるなら、それはそれでいいと思う。けれど、どんな極悪非道な人間にもそれはできない。生まれた場所、誰かと一緒に過ごした記憶、海辺で誰かを抱きしめたときの湿度、そういうものが脳の中には染みついている。それをなかったことにすることはできない。故郷の記憶は呪いなんじゃないかということは、この舞台を観る前に思っていたことだった。私に故郷がなかったなら、故郷以外に行きたい場所を持たなかったなら、どんなに楽だっただろうと。故郷を出るか出ないか、いつか帰るか帰らないか、そこに今もある、自分を知る人たちのことをどうするか、そんなことは全て、消えない呪いのようなものなのかもしれない。

 

どこかへ行く私を許してほしい。許されることを望むことを、どうか強い力をもって断罪してほしい。

 

係留されている船のロープを切って、私は誰のものとも知れない小船に乗り込む。二度と帰ってこないと言えたら、私はもっと強い人間になれるんだろうか。

 

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コンサートツアーオーラス、仙台公演から帰れなくなったオタクの話


好きなアイドルのコンサートを見に行った仙台のホテルで、ほぼ一文無しになった。


大学を卒業したけれど、未来は全く見えていなかった。就職活動に失敗したからだった。それでも現実逃避として、好きなアイドルのコンサートへ行くことはやめられなかった。アイドルを見に行って、アイドルを好きな友達と会って、その日しかないパフォーマンスを見て充足した気持ちになるのが、当時の私の生きがいだった。

オーラスの仙台公演が終わったあと、駅付近のビジネスホテルにチェックインしたとき、宿泊代の支払いに使おうと思っていたクレジットカードが使えなかった。当時迷走に迷走をきわめ、「金銭管理とは?」というほど正気をうしなってアイドルを追いかけており、当月の限度額いっぱいまでカードを切ってしまっていたことに気付いていなかった。当然、銀行口座にも引き出せるお金はない。

冷や汗をかきながら現金で宿泊代を払うと、財布の中に残ったのは百数十円だった。

ホテルの小さなベッドに座り込んで、私は呆然とした。なぜこんな思いをしてアイドルを追いかけているんだろう。なぜ自分のことをもっと真剣に考えられないんだろう。このままアイドルを追いかけ続けて、常にカツカツで死にそうで、それで本当にいいんだろうか。

……いやそれよりも、私はどうやって、京都にある自分のアパートまで帰るの?

気付いたら、泣きながら親しい友達に電話をしていた。どうしよう、帰れないと慌てる私に、友達は翌朝一番でお金を送金し、貸してくれた。銀行口座への振込だと反映に時間がかかるが、郵便局の「電信払込み」を利用すると、口座がなくても、遠方から即時に現金を受け取れる。完全にパニックになっており、そのことを調べてくれたのも友達だった。どこまでもふがいない。

「あこがれの街に住みたい、こんな田舎で一生生きるなんて嫌だ」と京都の大学に進学した18歳の私には、やりたいことは一つもなかった。やりたいことも、自分がやれることもわからない。けれど、その頃の私には「それを探すために大学へ来たんです」という大義名分があった。4年の間にそれを見つけて、社会へ出ようと思います、と、色んな人に言っていたような気がする。

私は「やりたいことをやって生きるべき」という呪いにかかっていた。「好きなことを仕事にして生きなさい」と言われ続けて育った。生活のために働くのではなく、やりがいのために働きなさいと。私を進学させるためにストレスでボロボロになりながら働き続ける母を見ていると、それは本当にそうなんだろうと思えた。

その頃、コンサートへ行くと必ず泣いていた。キラキラしたステージを双眼鏡で覗いている間、冷たい現実が背中に張りついていた。夢が終わってしまうのが怖かった。そして仙台で空っ欠になってしまったとき、私はただただ「終わったんだな」と感じた。モラトリアムが終わったんだと。私の本当の人生が始まってしまうのだと。

夢のような4年間が終わって、私にはやりたいことも、やれることも、何もなかった。やりたいことをやらなくちゃ、と決意してみても、そんなものはどこにも見当たらない。武装できるものは何もなく、裸で往来に放り出されたような気がした。

貸してもらったお金で電車に乗り、飛行機に乗り、何とかアパートへと帰りついた。仙台空港へ向かう間も、飛行機の発着ロビーでも、関空からアパートへ向かう間も、ずっと泣いていた。人目を気にすることもできずに、ただ自分の愚かさに泣いていた。

 

そのあとは、ものすごい勢いで時間が過ぎた。

 友達の助けで京都へ帰ることができた私は、すぐに実家へ戻ることを決めた。1人でいることが怖かった。精神的に不安定になっていることが自分でもわかっていたので、とにかく実家へ戻って心を安定させたかった。家賃を払って一人暮らしを続ける意味も、もうないだろうと感じていた。あんなに好きだったアイドルのことを見れなくなった。DVDもCDもすべて処分して部屋を引き払った。「こんなものを見てる場合じゃない」と、自分に言い聞かせた。

仕事は運よく見つかった。小さな職場の小さな窓口。
前任者が突然退職したと知人から聞き、すぐに面接を受けてとんとん拍子で採用が決まった。「やりたいこと」も、「やれること」も、何も考えず、とにかく働けるならどこでもよかった。働けることにホッとした。健康保険証をもらったとき、制服の支給があったとき、一枚目の給与明細をもらったとき、いちいち、何度もホッとした。

 仕事はそれほど忙しくなかった。というより、退屈さが苦痛だと感じることさえあった。時間はゆっくり流れて、7時40分に出勤して17時に退勤する。そのリズムが崩れることはほとんどなかった。

窓口に訪れるお客さまの95%がお年寄り。アルバイトで習った丁寧な接客は、聞き取ってもらえなかった。「何を言っとるかわからん」と言われ、泣く泣く、強めの方言でざっくばらんに対応すると、やっとこちらの言っていることが通じた。

朝問い合わせに応えたおばあちゃんが、昼また同じ問い合わせをしに窓口へ来る。同じことを説明して、紙に書いて渡す。

もう二度と見返さないであろう書類を分類してファイルに綴る。データの保存で済むじゃないかというような書類を、何枚も何枚も分類して綴る。

おそらく、効率的に働けてはいないだろうと思う。見る人が見れば、なんでそんなことをいちいち、ちまちまやっているの?と言われてしまいそうな気がする。細々としたローカルルールの多い職場で、忙しくないが故に、それをチェックする機会が多い。

 「やりがい」と言われると、なかなか思い浮かばない。それでも、就職してもうすぐ2年が経つ。

 

毎日同じことを繰り返す生活の中で、自分の内面がどんどん波で削られ、浸食され、色んなことに気付いた。

気付きのうちの一つが、私の呪いを解いてくれた。「やりたいこと」や「やれること」は、わからなくてもよかった。

やりたいことがあったとしても、それを本当にやるには、自分の力だけではどうにもならない。「自分はこれがやれる」と自信を持っていても、それは相手があってのことでしかない。私は「自分がどう働くか」「自分のどんな力を活かして働くか」ということに一生懸命になりすぎていた。「人とどう働くか」「人の力にどう合わせるか」ということには、全くもって鈍感だった。

特にやりたいわけでもない、自分が得意だとも思わない仕事が、同僚と一緒だと楽しく感じることがあった。苦手だと思っていたことが、上司のアドバイスのおかげですんなりこなせた日があった。「芦屋さんはこれが得意だね」と言われると、自分では全くそう思わなくても、自分に価値を見出すことができた。

自分のやりたいことがわからなくても、自分のやれることがわからなくても、「この人とならこうやって働きたい」ということならわかった。自分の目の前にいる人が、私のことを映し出してくれる。

働き始めてすぐの頃は、あんなにバカにしていた地元で働いていることが受け入れられず、倉庫でこっそり泣いたこともあった。こんなの本当の私じゃない、と、自己嫌悪で夜眠れないこともあった。

それでも、何もない私に寄り添ってくれるのは、毎日の単調な仕事だった。職場の人たちだった。勤続一か月、三か月、半年、一年。少しずつ長くなっていく月日が、私のひねくれた劣等感やプライドを洗い流してくれた。

私は働けている。田舎の小さな窓口に毎日座って、誰にでもできる仕事だけれど、他の誰でもない、私がこなしている。こんなところでは生きていけないと思っていた場所で、私は生きているうえに働いている。学生のころは思いもしなかった未来を生きている。

初めて出たボーナスで、久しぶりにアイドルのコンサートへ行った。ペンライトを振って、双眼鏡をのぞき込んだ。以前と変わらず、キラキラした世界がそこにあった。もう大丈夫だと思えた。「好き」に振り回されるのではなく、適切に「好き」へ向かって行けると思えた。

 

仙台のホテルでうずくまっていた私は、確かに「死にたい」と思っていた。助けを求めた友達との電話で、本当に口に出したかもしれない。好きなものを追いかけすぎて追い詰められるなんて本末転倒すぎる。あんな思いは二度としたくない。

 

けれど、私の人生は、やっぱりあの仙台の夜からはじまったんだろうと思う。

 
あの夜、友達との電話を切って、涙で腫れた目で、よろめきながらシャワーを浴びた。BABYMETALの特番が流れる液晶テレビ。くしゃくしゃになったオーラス公演の半券。靴擦れのあと。

何も忘れられない。これからも忘れたくない。

 

すぐ泣く人(アマデウスを観に行ったときの話)

久留米まで舞台を観に行った。平日ど真ん中の有給休暇を取得して、4時に起きてバスに飛び乗った。

千秋楽、スタンディングオベーション、高揚感、全部揃っていて、ああ泣いちゃうんじゃない?と思ったら、やっぱり泣いていた。舞台の上の人も私も。隣のお姉さんが嗚咽していたので、少し冷静になったけれども。

チャンスは何度もなくて、「はいどうぞ」と前触れなく与えられたたった1度のチャンスに、僕の答えはこうです、と、自分の答えを返さなければならない。多分それは、誰しもが同じなんじゃないかと思う。「やりますか?」と言われて「やります」もしくは「やりません」と返す、そのイエスかノーかの選択を、何度も繰り返して人は歳をとっていく。

自分がイエスともノーとも言えなくて、時間切れでどちらも選べなくなってしまった過去を思い出していた。ふがいない自分が客席に置き去りにされて、思考だけが劇場の天井にある、異国風の照明に絡みついているような気がした。

私の好きな芸能人が、この舞台に、出ます、と、イエスの選択肢を時間内に選んでくれてよかったなと思った。今まで積み重ねて来た選択を、ひとつずつ正解にする過程を、まだ見ていたいなと思った。これがファンになるということかと、今更ながら思った。

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プリンシパルの君へ

華やかなステージで、誰かに求められて、あなたの番ですよとスポットライトが差す。コンサートや舞台を観に行けばよくあるシチュエーションだけれど、自分が今そのステージに乗ったところで、かっこよくお辞儀はできないなと強く思う。ライトが差して、それが自分に向かって差したライトであることを疑わずに、その光を浴びて見たかったと思う。両手を広げて、自信をもって光を浴びてみたかったと思う。

非現実なステージを見たあと、心地いい疲労感と満足感の中、「私は?」と思うのだった。このあこがれを、このドキドキを、私はどう処理したらいいんだろう?好きだと叫ぶだけでなく、かっこいいなと憧れるだけでなく、もっと有効に回していきたいと思ってしまう。

いつも主役には手を挙げられなかった。幼稚園のお遊戯会も、赤ずきんちゃん役には立候補できなかった。赤ずきんちゃんを森へ案内するきのこ役を任された私は、きのこの帽子をかぶって、一生懸命右左に揺れていた。

大きな波に流されるように大人になって、心は脇役に慣れた子供のまま、いきなり主役として人生をあゆみはじめる。さあ、好きなように描いてみなさい、この人生の主役は君なんだから、と言われて、私は途方に暮れる。主役なんて一度もやったことがない。台詞のある役も、スポットライトを浴びる役も、今まで練習したことすらない。それでも時間はどんどん過ぎる。あわてて駆け出す。転んで痛くて、大人だから泣かずに頑張る。私が主役のこの物語を、誰が面白がってくれるんだろうかと疑問になる。何幕まであるのか、全何回のドラマなのか、共演者は誰なのか、客席も視聴者も見えない、何もわからない。愛するものを探して駆け回る、「最愛を探す旅」。

「君は主役」という言葉にハッとする。自分なんか、自分なんてと言いながら、それでも主役は一人しかいない。私しかいない。ぎこちないお辞儀でも、ライトに怯えながらも、キャストロールの一番最初には、私の名前がある。

肩を強く押されて、また次のシナリオを追っていく。肩を押してくれる、笑顔の素敵な男の子にも、きっと同じような葛藤がある。それでも彼はかっこよく背筋を伸ばしてライトを浴び、両手をいっぱいに広げて風を切る。世界中の「主役」のために、自分に与えられた物語の主役をつとめている。