かわいいうえに生意気だ

猫がうちに来てもうすぐ2年になる。ある日、職場の先輩が「トンビにつつかれて死にそうやったけ、連れてきてしもうた」「誰か飼う人おらん?」と連れてきたのが、まだ手のひらサイズの「うみ」だった。黒ともグレーともつかない不思議な色をしていて、段ボールの中で元気にうろつき鳴いていた。

そっと箱の中に手を差し込むと、私のカーディガンをがしがしと昇ってくる。私は家族に「連れて帰ってもいい?」と確認して、「こみねが飼うならいいよ」と返事をもらった。不思議な感覚だった。自分が動物を飼うなんて。段ボールの中に水とえさ(家が近所の猫飼い社員が持ってきてくれた)を入れ、うみを待たせ、定時になったら職場を飛び出し動物病院へ行った。 元気な生後2週間の雑種だった。

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うみはムクムクと育った。膝にのせても重さを感じなかったころを過ぎ、今はもはや膝からはみ出す。抱いていると重い。子猫のころのおもかげを残しつつ、顔の丸い、幸福そうな猫になった。よその猫もみんなかわいいと思うが、なんだかうみのことは特別かわいく感じる。これが親心なのか……と思いつつ、毎日うみの抜け毛をコロコロで取っている。全然嫌じゃない。

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猫より犬派だった父は、あまりに小さいうみを見て、しばらく「この猫は小さすぎんか」「大丈夫なんか」と心配していたが、一緒に昼寝をしたり、手からエサをやったりするうちに、すっかり猫派……もとい「うみ派」になっていった。父が帰ってくるバイクの音がすると、うみは玄関まで走って行って出迎える。

ずっと猫を飼ってみたかった母は、うみを非常にかわいがった。太らせないようにエサの量を管理したり、スーパーで見かけたおもちゃを色々と買ってきたり。うみもそのかわいがりを素直に受け止めて、夜は毎日母と寝て、食後は母の膝の上でねむった。

うみが家に来てから、会話が増えた。私は日中家にいないので、家にいる母が「今日のうみくん」を毎晩報告してくる。しゃべったとか、寝方がかわいかったとか、そういうことを毎日聞いている。父と母には共通の話題があまりなかったが、「うみ」という共通の話題ができたことで、前より楽しそうにワイワイするようになった。

私は、うみを中心に話している父と母を見ると、「もしかして、私を育てていたときの父と母はこんな感じだったのかなぁ」と思う。平易な言葉で話しかけ、何かができたら褒めてやり、しきりに写真を撮る。年賀状にも載せる。私はもちろん両親が私を育てていたときのことを覚えていないけれど、なんとなく、今それを俯瞰から見ているような感覚がする。たまに私のことを「うみ!」と呼んだり、うみのことを「こみね!」と呼んだりするので、その感覚はあながち間違いでもないのだと思う。

現に、私はうみから1番尊敬されていない。多分姉弟くらいに思われているのだと思う。拾ったのは私なのに……と思うが、うみにとってそれはまったく関係のないことで、うみには父と母がエラいのである。日中家にいてごはんをくれる母が1番エラく、たまに「ちゅーる」をくれる父が2番目にエラく、トイレ掃除をする私はあまりエラくない。猫なんてそんなもんなのである。かわいいうえに生意気だ。

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