美しい人生の幸福なシーン

数年前、横浜アリーナの立ち見席でコンサートを見た。

立ち見席は文字通り「立って見る席」で、会場への入り口も指定席の観客とは違う。外に番号順にぞろぞろ並んで、番号ごとに区切って会場内に案内される。私は立ち見席でも一番壁側、ステージからは一番遠い場所に立たされ、ああ今日は何も見えないな……スクリーンを見て雰囲気を味わおう……と、ペンライトと双眼鏡をバッグにしまった。

開演を待つ間、不意に周囲から歓声が上がり始めた。タレントが登場したときの、条件反射で出てしまう黄色い声。隣の女性が真後ろの壁を見上げて双眼鏡をのぞき込んでいた。私も壁に向かって振り向いて、上を見た。

数人の男の子たちが、真上にある指定席に座るところだった。多分7~8人くらいはいただろうか、眼鏡をかけたり、マスクをしたり、それとなく顔を隠すような様子だったので、「ああ、これが"見学"か……」と、そこで気づいた。ジャニーズJr.の男の子たちが、先輩のコンサートを見学しに来ていたのだった。開演前、まだ会場内が明るいときに席に着いたので、周りの観客がそれに気づいた。

私はそっと双眼鏡を取り出して、隣の女性と同じようにのぞき込んだ。細面の男の子の顔がレンズいっぱいに映し出されて、ステージにいないときでも、元が一緒なら、やっぱり粉が飛ぶようにキラキラしているものなんだと実感した。つるんとした顔は、内側からぼんやり光っているように感じた。
私はその男の子の名前を知っていた。森田美勇人くん。雑誌やテレビ番組でよく見かけていた。

ジャニーズ事務所」というひとつの世界は、不思議な世界だなぁと思う。
私たちは憶測であれこれ語ってみるけれど、確かなことは彼らが話さない限りわからない。きっとそうなんだろう、という信じたいお願い事のようなものを胸に、コンサートへ行くしラジオを聞く。雑誌を買うしCDを買う。守られているようで、本当はそうでもないようだ、と感じることもある。お知らせは急だし、急なわりに会える機会は少ない。なぜこの子たちがテレビに出られないんだろう、と、至極まっとうに不思議に思うことがある。インタビューの記事を読んでわかったような気持ちになっても、嘘なんていくらでもつける。この仕事が楽しかったです、もっと頑張りたいです、と語っていた子が、次の季節にはいなくなっていたりする。そのときに私たちは「あのときも、あのときも」と、時間差の答え合わせをして、腑に落ちたような気持ちを味わう。けれど、彼が本当に事務所をやめたかどうかを、私たちが確かめる手立てはない。彼が「辞めました」と言わない限り、私たちはスパンコールがぱらぱら散らばったステージの上に、そのどこかに彼がいないかと、必死に探し続ける。もっとも、今後今回のような「例外」が、一般的になっていく可能性もあるけれど。

去った彼らが、時間や若さや体力を費やして、平等に与えられたわけではないチャンスに手を伸ばして、得たもののすべて。私が知らないことに気づいているファンもいる。そして、ファンの誰もが気づいていないことを、本人はすべて知っている。口にするかしないか、彼が鍵を渡されている。

あの日、壁の下から、壁の上にいる森田くんを見上げた。森田くんは下に少し身を乗り出して、こちらに小さく手を振って会釈した。

私は、それがすべてなのではないかと思ったのだった。美しい男の子が、美しさや強さ、そういうものをひっくるめた個性を認められて、ガラスのドームの中に入る。偽物の、やけにキラキラした銀色の雪が降るドームの中で、彼らは外から向けられる目や、外から振られる手に対して、自分がどうやって向き合っていけばよいのかを模索する。模索し始める。そして、模索し終わる。

笑って手を振る彼が美しかったことしか覚えていない。彼らは美しく生まれて、美しく成長し、美しい人間として、彼らなりの美学を身に着けて、そしてまた違う場所で生きていく。

人生は続いていく。とても好きな言葉だ。見えなくなった場所でも、生き方を変えても、生きている限り人生は続く。夢のようなステージが終わっても、次の日は来る。かなえたくて仕方がなかった夢が終わっても、ちゃんと次の日は来る。映画のように、ドラマのように、そこで終わったりしない。私たちが生身の人間として与えられた仕組みで、一番強いものがそれなんじゃないかと思う。

これからの話をしただろうか。仲間で、何か食べながら話したりできただろうか。私が考えうる一番幸福なシーンが、現実だったなら素敵だ。