飲み干せないから恋なんだ ―― Snow Man「HELLO HELLO」

これまでグループの名のもと、一丸となって突き抜けてきた9人だった。その9人が、この夏は同じグラスの中で、ふわふわ漂っている。

ストローを回すと、涼し気な音とともに中身も回る。水滴のデコレーションでキラキラと輝くグラスの中に、ひときわ輝く誰かを見つけたら、それが恋だ。「初恋だよ」と誰かがささやく。顔を上げても誰もいない。でも曲が流れている。この夏いろんな場所で聞く、あの曲。

『キミに笑っていて欲しいんだ ただ』のワンフレーズが、「HELLO HELLO」の種だ。甘酸っぱいラブストーリーに宛てられた言葉たちと、現実を生きる私たちのために編まれた言葉たち。そのどちらもが融合した、苦しいくらい単純なひとことだ。ただ笑っていて欲しい、それ以外はどうでもいい。そう願う以外にできることなんて何もない。誰か大事な人ができたとして、私に世界を一変させる力はない。だからせめて「思う」し、「願う」し、自分が世界に与えた小さな波紋が、少しでもいい波として大事な人に届くよう「祈る」。

笑っていて欲しい誰かのために、いつもの自分から脱したいと思う。いつもは尻込みすることに飛び込んで、膝をすりむいた。いつも言えない一言を、言葉に詰まりながら口にしてみた。子どものころ何かにあこがれたように、ボトルを振って噴き出す気持ちに身を任せる。フタを開けるきっかけにしてよと送られてきた曲を、この夏何度も何度も聞くだろう。

グラスに差したストローで、カランカランと世界を回す。誰かを思うのは怖いことだ。幸福と不安が同じだけ注がれて、甘くて酸っぱい。全部飲み干せるだろうか。胸の上までいっぱいになりながら、自分と誰かのことを信じたいと思う。

「大丈夫だよ」と、誰かが言う。

何度も何度もストローを回して、何度も何度も逡巡する。ふと視線を上げたら、昼の日が差し込む扉の向こうで、誰かが手を振っていた。こっちだよ?こんにちは?待ってるよ?なんて言っているのかわからない。唇の動きを追いながら立ち上がる。追いかけて走り出す。

飲み干せなかったグラスの中に、レモンがひときれ浮かんでいる。季節を切り分けたようなイエローに、気持ちを託している場合じゃない。

 

 

 

 

本物の羽根をありがとう ー映画『ハニーレモンソーダ』

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「私はここにいていいのかな」「私はこの人と一緒にいていいのかな」という気持ちは、あらゆる人が抱く気持ちの中でかなり"揺れている"部類のものだと思う。それに答えはないから"揺れる"んだと思う。その問いにいくら「いいんだよ」と言ってもらえても、最終的にそこにいることを、一緒にいることを決めるのは自分自身だからだ。答えは誰かと出会うことで、自分の中に見つけていくしかない。

羽花も界も、お互いの輪郭をとらえようと必死になって、触れてみたり光にかざしてみたりする。やっぱり触っちゃダメだと思えば、冷たすぎるものに触れたようにパッと手を離して、自分がいた薄暗い場所へ戻っていく。石になっていた方がいいとかたくなになっていた羽花の心の動きは、自分の中の小さな「女の子」を見てしまったようで苦しくなった。受け入れられたいと思っている人たちの輪の中から、何かのきっかけで自分から距離を取る、あの苦しさを思い出した。全速力で駆け戻って、浮かれて描いた絵の中から自分だけを消す。「私はここにいちゃいけない」というとき、他の誰かの「そんなことないよ」は、まったく役に立たない。自分で「私はここにいていいんだ」と思えるまで、鉛筆も握れない。

思い出の場所で結ばれて、恋人同士として生活を送るようになってからも、特に界は、薄闇と陽の光の下を行ったり来たりする。
夜の街で地下に続く階段を下りて、重い扉の向こうで、日々の糧を得るための仕事をする。上手に大人をかわし、グラスを磨き、飲み物を作る。羽花とつないだ手に、無遠慮に触られる。猥雑な街を抜けて帰路につき、誰もいない部屋に戻って、出来合いの食事をとって眠る。そんな生活に、界は自分から線を引く。ここから先には誰も入れないようにと思っていた場所に、羽花は入ってきた。光の下で会うべき人間と、薄闇の中で会う。「こんなところに来るな」と羽花を帰したとき、界はどんな気持ちだっただろうと思う。界は子どもだ。美しい神様のように羽花のもとへ駆けつけるけれど、「親に捨てられた」生活のことを打ち明けられない。
羽花は「私はここにいちゃいけない」と悩み、界は「誰もここに来ちゃいけない」と悩む。そんな中、二人は「行かなきゃ」という気持ちを信じて、知られたくない自分を置いてけぼりに、自転車で駆けていく。

結局「いいのかな」という自問自答を打ち破るのは、「そうしなきゃいけないんだ」という、根拠のない確信なのだと思う。いいのかどうかはわからないけれども、自分は今行かなきゃいけないんだという、暴走にも近い気持ち。羽根が生えているのだから、そう言ったんだから行くのだ。羽花は太陽照りつく坂を駆け上り、界はたゆたっていた夜の街を飛ばす。羽根なんて本当は生えていないから、息を弾ませてペダルを漕ぐ。

「この人なんだ」という一瞬のときめきを、確認し続けることで一生に変えていく。それが人生になるのだと思う。「私はずっとそばにいる」という羽花の言葉や、抱きしめた界の気持ちが本物かどうか、誰にもわからない。羽花と界にもわからない。そんな中頼りになるのは、こみあげてくる衝動しかない。今、一緒にいたい。今、抱きしめていたい。今、笑っていてほしい。

エンドロールで流れてくる「HELLO HELLO」の歌詞がオーバーラップして、二人の生活は続いていく。「キミに笑っていて欲しいんだ ただ」が、単純な甘酸っぱい恋のフレーズだと思えなくなる。君にただ笑っていてほしいから、怖くても変わっていく。強くなっていく。そのためだけに世界を作り替えていく。

寄り添って眠るラストシーンは、光と薄闇のあわいを表しているようだった。光でも闇でもない場所は、きっと心の中身そのものだ。鍵がかかっていなくても、あの部屋には羽花と界しか入れない。

手負いの6月

ふいに歯が染みるようになって、歯医者に行った。住んで間もない土地でよさそうな歯医者を探すのは予想以上に骨の折れる作業で、口コミと立地と開院時間のバランスを見ながら、1時間かけてやっとちょうどいい歯医者を見つけた。
染みていた箇所は虫歯でもなんでもなかったのだけれど、数年前に神経を取って銀歯をかぶせた奥歯が、ひどく膿んでいるので治療しましょうと言われた。銀歯をはずし、感覚のなくなった奥歯の中を糸みたいに小さなブラシでゴリゴリと磨き、炎症を抑える薬で膿をおさえ、台座と新しい銀歯の型を取った。次の通院でやっと銀歯が入る。長かった。

左の上の奥歯がない状態で1か月くらい過ごした。舌でたどったとき、爆弾がはじけたような穴がぽっかり空いているのがわかる。食べ物が詰まるのが気持ち悪くて、右側ばかりで噛んでいたら、顔のゆがみが助長された気がする。

夏用のジャケットを1枚買った。仕事でジャケットを着なければならないから買っただけで、別に夏用であれば何でもよかった。別に何でもよかったにしては、「いいジャケット」を買ってしまった気がする。あらゆる店舗が休業になっていた5月、拍子抜けするくらい普通に営業していた梅田のスーツ店で買った。背が高く、眉を全部剃って別の眉を美しく書いている女性から買った。こういうどうでもいいことはよく覚えていられる性質なので、多分このジャケットを着古して捨てるときも、このジャケット眉毛全部剃った人から買ったよなぁと、彼女のことを思い出すと思う。

仕事関係の書類が増えて、部屋の一角が紙のピラミッドになっている。捨てたくて仕方がないが、どうしてもシュレッダーをかけずに捨てるのは忍びない。家庭用の安価なシュレッダーが欲しい。手回し式でいい。全部細切れにして、毎日ゴミを捨てるレジ袋の中に少しずつ混ぜて捨てていきたい。シュレッダーはさみ(はさみの刃が3枚重なっていて、持ち手が一つにまとまっているだけの、びっくりするくらい単純な便利道具)は持っているけれど、あの量の書類を全部はさみで切り刻むと思うと気が遠くなる。気が遠くなるというより、まぁ単純に、手が痛くなる。

6月前半仕事が忙しく休みが取れなかったので、後半は半分くらい休みだった。二連休だ~とか思いつつ、シンクを磨いたり床に落ちた髪の毛をコロコロで取ったり洗濯をしたりしていたら終わってしまう。前はもう少し時間の使い方がうまかった気がする。まぁ、実家にいたころは、シンクは磨かなかったし、洗濯は5回に1回くらいしか担当しなくてよかった。一人で暮らすのは結構楽しい。寝る前、間接照明の中でぼーっとしながらベッドのつめたさを感じているときなんて、特にそう思う。寂しさも甘いものだと思う。寂しいなんて思えるうちは、甘えている真っただ中だと思う。私が寂しいのは、私が誰かと繋がったまま、一人でいる証拠だと思う。一人で暮らす部屋を維持できるくらいには、仕事もなんとかやりたい。

爪を磨いて短くしたいのだけれど、毎日忘れて寝てしまう。今日も忘れて寝るだろう。おやすみなさい。

 

ハグの相手

ちょっとしたお別れが近づいてきている。毎朝鍵をかけて仕事に出かけるたび、自分の足音が秒針に聞こえる。今まで腕時計を着ける習慣はなかったけれど、必要に迫られて着けるようになった。父親からもらって、なくして、また同じものを買いなおしたSKAGENの腕時計。今までほとんど着けなかった。今は毎日着けている。

もうすぐお別れする人と、今日初めてハグした。落ち込んでいた彼女が、ふと落ち込みから抜けたように見えたので、もう大丈夫なのかな、と思って肩に手を回した。自然とハグできて、すごく嬉しかった。素直にはしゃいだ。

この人のことが大好きだと思ったら、四六時中抱きしめていたい人間だった。かたちを確かめたかった。それこそ仲の良い友だちの手を勝手に握って歩いていた。私はそれがとてもよくないことだと気づいていなかった。勝手に人の体にふれたり、遠慮なくかたちを確かめることは、その人のことを傷つけることかもしれなかった。自分は大好きだったけれど、二度と会えなくなることが続いて、「私がやっていたあれは、本当にあの人にとって最悪な行動だったんだ」と頬を打たれた。

気づいてからはしなくなった。普通の人と同じようにできていたと思う。単純に、この人のことが大好きだと、誰に対しても思わなくなったのかもしれない。ただそれだけだったのかもしれないけれど、そういうことはしなくなった。

だから今日、おそるおそる、ハグするつもりで肩にのばした腕と、組み合うように伸びてきた腕が嬉しかった。

私はどんどん人が怖くなっていく。自分のことも怖くなっていく。こんなひどいことをできる人間がいるんだ、と他人に対して思うように、自分に対しても同じことを思う。私はこんなに薄情な人間だったんだ、だったら愛されなくても当たり前だよな、と、寝る前スマートフォンの光を消した瞬間に思ったりする。こんなにひどい人間ばかりの世の中、どうやって生きて行ったらいいんだろう、しかも一人で、と、ため息が濁る。

だけど、私は一応、ハグの相手として受け入れてもらえたのだった。思わず伸ばした腕をするりと外されてしまっていたら、帰りの電車で、腕時計をつるりつるりと撫で続けることもなかった。もしかしたら、ああ気持ち悪いけれども、断るのも面倒くさいから、一瞬ふれあってしまえと思われたのかもしれない。なんて無遠慮なヤツだと思われたかもしれない。でも私の目から見た彼女は、数日前より明るい顔で、ハグした私の肩をポンポンと叩いて、アリガトウ、と言ってくれたのだった。なんか、信じたいなとは思った。

こんなに嬉しいことは久しぶりだった。でも、お別れなのだ。二度と会えないわけではないけど、二度と会えないかもしれない。約束としていくつか残っていた糸が一本一本ほどけていって、もう数日したらなくなる。お別れでよかったのかもしれない。これ以上大好きになってしまわなくてよかったのかもしれない。そしたらもう二度とハグしたくならないし、仲良くなりたくもならない。

地下鉄の車両を降りて、ものすごい風が吹きおろしてくる階段をのぼる。まだ腕時計をつるつるさわっている。

パンくずを落とすこどもたち

引っ越して1か月半。リズムをつかめているとも環境になじんだとも言いがたい。掴むリズムもなじむ環境もないような日常を過ごしている。街を歩こうにもいろいろと縛りが多くて、喫茶店で勉強しようにもできない。友だちを作ろうにも作れない。出歩くなと言われているのだから、小さな1Kに閉じこもるしかない。仕事の帰りにのぞく書店だけが楽しみだ。大きな書店があちこちにあって、都会には文字があふれている。

部屋の窓からは、空がちょっとしか見えない。隣の建物との間が近いので、昼間でも夕方のような薄暗さ。もろもろの条件を考えた結果この部屋を選んだので、後悔はしていないし、暗いということも重々承知していたのだけれど、やはり少し気づまりに感じている。

「自室」の窓を思い出す。私が生まれて育った部屋の窓は、広く二面に渡っていて、光があふれてきて熱いほどだった。

勉強をしている。学生のころとは違う感じがする。やりたいなと思う。これを学べば、自分がよくなる、周りがよくなる、そうなることが自分の望みだと感じる。ただ、勉強をすればするほど焦る。知りたいと思うことが多くて、だだっ広くて、不安になる。この広大さに負けたくないと思ってもがけばもがくほど、自分の小ささが明らかになっていく。

私に何ができるんだろうか?と思い詰めてふさぎこんでいた過去の私に言ってあげたい。未来の私もまだ思い詰めているよ、と言ってあげたい。何ができるかはわからない。一生わからない。誰にもわからない。私がこの短い一生をもって、知って咀嚼して誰かに伝えられたことだけが、私にできたことになる。私にできることは一生わからないけれど、私にできたことは、私のあとにパンくずのように残っていく。

誰が道しるべにしてくれるんだろう?誰も啄むことはないかもしれない。

この川はなんていう名前だろう?と思って調べたら、道頓堀だった。あ、これが道頓堀なんだ、と思いながら、私はその黒くて得体のしれない川をのぞいてみる。マンションのあかりがキラキラ反射している。きれいな川だったらこうはいかないだろう。黒いからキラキラするんだ。そういうものなんだと思う。

口だけ星人

今年の10月末ごろ、葉っぱが落ちるみたいにポロッと転職が決まった。あれだけ転職したい転職したいと思っていたわりには、いきなり決まった。急いで準備して急いで引っ越して、私の秋以降は猛スピードで過ぎていって、やっとひと息ついている今、すでに2020年が終わろうとしている。

この数か月、ほとんど何も書けなかった。何か書いたら、やらなければならないことが頭からこぼれ落ちそうだったので、ここ数年で一番何も書かない時期だった。車を売って、読み終わった本を処分して、友だちや知人にさよならを言って、それなりに自分の周りを片付けてから大阪へ来た。

大阪は何度も遊びに来ていた街だったけれども、住むのは初めてだ。京都より住みやすい感じがする。個人的な感じ方だけど……。住んでいる町には、近くに安いスーパーがあって、ドラッグストアがあって、繁華街からは適度に離れているけれども遠くはない。パトカーのサイレンも救急車のサイレンも、少し遠くから聞こえてくるので、逆にいい感じに感情を凪にしてくれて助かる。

新しい人との出会いがあった。「同期」と呼ばれる人ができたのは、生まれて初めてだった。彼女は私とは全然違うタイプなのに、居心地がいい。この人は私にないものばかり持っているなと感じるけれども、劣等感を刺激されない。さっぱりしてぴりっと辛い性格の彼女のことがとても好きだ。仕事仲間なので、お互いぺっとりくっつかないのもいいのかもしれない。いい人だから、長く付き合えればいいと思う。

なんだか改めて、社会に出たなぁと感じる。家族や知人の庇護のない場所へ、自分で望んで来た。もう私のことを「○○さんの娘さん」と言う人はいない。

この世情なので、年末の帰省はかなわなかった。実家へクリスマスケーキを、施設で暮らす祖母にお菓子を送った。カードも添えて。祖母は母伝いにお礼を言ってくれた。直接私に電話をすると泣いてしまうから、と言っていたそうだった。

祖母はもう高齢で、会うたび小さくなっていく。幼い私を一日中預かってくれていた祖母は、もうどこにもいない。せめてたくさん顔を見せようと思っていたけれど、今年は感染症の影響もあり、家族であっても長時間の面会はできなかった。そうこうしているうちに転職と引っ越しが決まり、最後に祖母に会うため施設へ行ったときは、窓ごしに10分程度話しただけだった。

祖母は、こみねちゃんがずっと地元にいてくれればいいのに、と言っていた。そういうことを他の人に言われていたら、私は腹が立っていたかもしれない。私の人生なんだから私のやりたいようにやるよ、と思っていたかもしれない。でも、祖母にそう言われると、何も言えなくなってしまう。祖母がいついなくなってしまうかわからないのに、傍から離れる自分のことが、ひどく人でなしに思えてしまう。

一人で暮らし始めてから、私はルーツから離れて生きていけないんだなぁと強く実感する。それが世の理なのだというより、私が単にそういう人間なだけだ。私は自分のルーツについてすごくナイーブで、いつだって気にしてしまう。そういう人間だから仕方ないのだ。

クリスマスケーキと一緒に、ショッピングモールで見つけた猫用のおもちゃを、実家の黒猫に送った。遊んでくれるか心配だった(買ってきたおもちゃで遊ばないことがよくあるので)けれど、先日思いっきり遊んでいる動画が母から送られてきた。

猫は私がいなくなったことに、気づいているんだろうか?動画の中の猫はかわいくて、いつまでも元気でいてほしい。猫だけでなく、離れて暮らしている人みんなにそう思っているけれど、今の私ではまだ「口だけ」だ。

 

 

 

あなたに1番似合う色 ーー KISSIN' MY LIPS / Snow Man

「好き」という感情は、時に少し後ろめたい。

だから私たちは、ちょっと笑いながら「好きになっちゃったかもしれない」と口にする。「なっちゃったかもしれない」には、「なっちゃった」と「かもしれない」という二重の予防線が張られている。誰かに茶化されても、止めなよとたしなめられても、ひどく傷つかないようなラインが2本引かれている。

「好き」に対してあれこれ言い訳していると、そのラインがどんどん濃くなっていく。好きじゃなかった自分にいつだって戻れるように、冷静さを失わないように、ぐりぐりと何度もラインを引き直す。

それは過去の経験ゆえの行為かもしれないし、過去に経験がないゆえの行為かもしれない。「好き」は痛い。そのうえときどき怖い。


銀色の髪をした男の子が、遠くから大股で歩いて来る。いつ現れたのかわからない。名前も知らない。あっという間に距離を詰めて、濃く引いた2本のラインをひょいひょいと踏み越えてこっちへ来る。靴裏でこすれてにじんだラインの上に、彼は引きずってきた椅子を置く。そして話を始める。


この曲は、徹底して「僕、俺」対「あなた」だ。「僕たち、俺たち」対「ファンのみんな」ではなく、それぞれ椅子に座った一人の人間同士が、他に何もない薄闇で対話する。

真面目な顔しちゃって、と茶化してみても、過去の話をしてみても、それはもういいよと一蹴されるだけ。今の話を聞かせてほしい、と言って立ち上がらない人を、ラインの向こうへ追い出すのは至難の業だ。それに気付いたときには、もう遅い。白状するしかない。好きなんだと言うしかない。


華々しく世界に放たれた彼らを目にして、「好きになっちゃったかもしれない」と思った人はあちこちにいるだろう。ちょっと笑いながら気持ちをズラして、そうなっちゃったらどうしよう、と冗談めかした人もいるだろう。それを冗談にさせないために、彼らは一人一脚の椅子を持ち、秘密を教えてよと迫る。ヒリついた本気の「好き」を引き出すために、あなたに一番似合う色は自分だよと示して見せる。そして、「あなたが好き」と言い切ってしまったとき、唇は新しい色に染まっている。今までつけてもみなかった色の口紅が、自分の唇にのっている。


椅子が9脚並んでいる。これは彼ら一人一人があなたと話すためにある椅子で、それは運命なのかもしれない。

「Something new」とはあなた自身だ。あなたが彼らを見つけたのではなくて、彼らがあなたを見つけたのだ。そう感じるにふさわしい予感が、この曲には詰まっている。

 

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