パンくずを落とすこどもたち

引っ越して1か月半。リズムをつかめているとも環境になじんだとも言いがたい。掴むリズムもなじむ環境もないような日常を過ごしている。街を歩こうにもいろいろと縛りが多くて、喫茶店で勉強しようにもできない。友だちを作ろうにも作れない。出歩くなと言われているのだから、小さな1Kに閉じこもるしかない。仕事の帰りにのぞく書店だけが楽しみだ。大きな書店があちこちにあって、都会には文字があふれている。

部屋の窓からは、空がちょっとしか見えない。隣の建物との間が近いので、昼間でも夕方のような薄暗さ。もろもろの条件を考えた結果この部屋を選んだので、後悔はしていないし、暗いということも重々承知していたのだけれど、やはり少し気づまりに感じている。

「自室」の窓を思い出す。私が生まれて育った部屋の窓は、広く二面に渡っていて、光があふれてきて熱いほどだった。

勉強をしている。学生のころとは違う感じがする。やりたいなと思う。これを学べば、自分がよくなる、周りがよくなる、そうなることが自分の望みだと感じる。ただ、勉強をすればするほど焦る。知りたいと思うことが多くて、だだっ広くて、不安になる。この広大さに負けたくないと思ってもがけばもがくほど、自分の小ささが明らかになっていく。

私に何ができるんだろうか?と思い詰めてふさぎこんでいた過去の私に言ってあげたい。未来の私もまだ思い詰めているよ、と言ってあげたい。何ができるかはわからない。一生わからない。誰にもわからない。私がこの短い一生をもって、知って咀嚼して誰かに伝えられたことだけが、私にできたことになる。私にできることは一生わからないけれど、私にできたことは、私のあとにパンくずのように残っていく。

誰が道しるべにしてくれるんだろう?誰も啄むことはないかもしれない。

この川はなんていう名前だろう?と思って調べたら、道頓堀だった。あ、これが道頓堀なんだ、と思いながら、私はその黒くて得体のしれない川をのぞいてみる。マンションのあかりがキラキラ反射している。きれいな川だったらこうはいかないだろう。黒いからキラキラするんだ。そういうものなんだと思う。