担当ウォーキングデッド

歴代の担当に一定の傾向はあるのかというのは、定期的に語られるトピックだと思う。「なんか私の担当は、歴代みんなメンカラ赤なんだよね」とか、「参謀ポジの人が担当になることが多いかな」とか、巷ではいろんな話を聞く。

私が一番最初に「担当」という概念に触れたのは、小学生のときだった。母が山下智久くんに激ハマりし、その影響で自分もコンサートへ行ったり掲示板を見たりしていた時期に「どうやら一番好きな人のことを担当というらしい」ということを知った。まあ今は「1番好きな人=担当という式は成り立たないこともある」と思っているけれど、当時はポポロの刺激の強い企画を見るとなかなか眠れなくなるレベルにピュアな小学生だったので、担当という概念が何だか特別なものに思えてときめいたものだった。

母に連れられて、NEWSのコンサートへはよく行っていた。CDも聞き、ドラマやバラエティ番組、歌番組も見ていた。母が激務から帰ってきて、山Pを見ると一日のつらさが和らぐ……と「素顔」のVHSを見ている間、私が見ていたのは錦戸くんだった。母の担当が山下くんであることは自他ともに認める感じだったが、私は心の中で「私の担当は錦戸くん……」とつぶやいていたのだった。

当時の錦戸くんは少年から青年になり、若い色気があり、そしてチャーミングでかわいかった。今はもっとチャーミングでかわいくなっている錦戸くんは本当に素晴らしい。少年倶楽部で「強き心で行け」という曲を歌っていたのだけれど、舞台からせり出した、細い、不思議な形のステージで歌って踊っている錦戸くんが本当に素敵で、あの曲だけ何回も何回も観た。

そのあともしばらくNEWSのコンサートでは錦戸くんの顔うちわを持ち、雑誌のインタビューコーナーでは錦戸くんから最初に読み、クリスマスプレゼントに関ジャニ∞のDVDをもらった。当時父がアンチジャニーズだったため、夜中に母と二人でひっそり鑑賞した。47都道府県を回るツアーでは、山口県周南市文化会館関ジャニ∞が来てくれた。当時You&J会員だった母にチケットを取ってもらい、初めて錦戸くんを至近距離で見た。周南市文化会館が小さすぎて、どこにいても至近距離だろというような距離感だった。生で見た錦戸くんは、かっこいいというよりかわいかった。中学生女子がかわいい……となる成人男性、恐るべし。

それからの私は、中学卒業時くらいから2次元に激烈にハマり、歌番組の代わりにアニメを見るようになり、ラブソングの代わりにアニソンを聞くようになり、どんどんジャニーズから遠ざかって行った。「おおきく振りかぶって」の阿部くんがすごく好きだった。阿部くんの夢小説とか読んでたな……。

その後、大学2年生の頃、二次元にハマったときと同じくらい激烈に中島健人くんにハマった。フジテレビだったかどっかの社屋をバックに、夏に雪が降るみたいなめちゃくちゃな曲をファンタジーな衣装で歌って踊る健人くんを見ていると、脳みそのどっかが焼き切れたようになって、しばらくすると1stコンサートのDVDを買っていた。健人くんのどこに一番ときめいたかというと、ポエミーな言葉を全身に受けたところで、全く消費されきらない彼の存在感である。もう存在自体が詩なので、2次元を愛していたころと同じ熱量で彼を愛でても、なお彼が上回ってくる感じ。サイコーだな……と思った。初めてコンサートへ行ったのは、春の大阪城ホールだったか、友人と外で花見をしてから参加したのだった。もう偶像崇拝の極みという感じで、ひたすらに自分の中の詩的な言葉を掻き立ててくれる中島さんマジありがとうございますという感じで、日ごろ普通に生きていても、電車に乗っていても健人くんのことを考えると脳みそから自分ってこんなにロマンチストだったっけ……と言いたくなるようなポエミーな言葉があふれてきて、それはそれは日常が美しくてたまらなかった。完全にハイだった。好きすぎて好きで好きなだけだった。

健人くんとの楽しい日々を過ごしつつ、他のジャニーズ情報も仕入れるようになっていた。子どもの頃にはなかった、自由に使えるネット環境があり、Twitterアカウントがあった。ファンのアカウントを見てはブログを読んで、またアイドル雑誌を買うようになった。そしてカウコンで、風磨くんときゃっきゃする中島先輩をテレビで見ていたら、突然のお知らせに呆然としてしまった。ジャニーズWEST4のデビュー宣言だった。

それを見たあと、ファンの動きなどを見て「へえ、あぶれちゃった子がいるのか」と知った。雑誌で確認すると、同い年の子がふたり。正直にかわいそうだな、と思った。こんなにかっこいい子がなぜ?と思った。それがジャニーズWESTに興味を持った最初の瞬間だった。

その後、デビュー発表のあとメンバーの直訴により増員⇒それを舞台中に発表するというドラマチックなことが起こり、私は「乗るしかないこのビッグウェーブに…」という感じで、ジャニーズWESTのデビューシングルを全形態購入した。当時は面白そうと思ってチェックしていたが、1stコンサートに参加して「何があってもがんばるんやで」という照史くんの言葉にぽろっと泣いてしまい、大阪城ホールから帰る電車の中で「この人を担当にしよう」と決めた。まさか照史くんに撃ち落とされるとは思っていなかったため、入場する前買ったうちわは小瀧くんのうちわだった。人生何があるかわからない。

と、ここまで担当遍歴を振り返ってきたが、傾向についてはどうだろう。関西人がシティボーイを挟んでいる。キャラ的には健人くんが群を抜いてトンチキ。

色々と考えたが、顔の傾向はわりと一致しているのではないかと思う。全員犬顔。圧倒的犬顔率。私は自分の顔の好みを「眉がしっかりした和顔っぽい人が好き」と解釈していたが、それを端的にいうと「犬顔好き」だったのかもしれない。

顔の好みは一貫しているっぽいが、性格はどうだろう。なんとなく共通しているかなと思うのは、「実はかわいい」というところ。パブリックイメージとはうらはらなかわいさが漏れ出てしまっているタイプが好きらしい。ビビッてちょっと泣いてしまう錦戸くんもカワイイだし、年上男性にきゅるるんとしがちな健人くんもカワイイだし、スヌーピーが好きで一人ごはんが苦手で感動屋な照史くんもカワイイだ。カワイイでしかない。

ただ、犬顔で実はかわいいジャニーズは他にも結構いる。いっぱいいる。その中からなんで彼らが担当になったのかと言われると、やっぱりタイミングと、言葉にできないときめきが大事なんだと思う。自分の中の担当ビンゴが一つずつ空いていってビンゴ!担当!みたいな感じだったわけではなく、毎回ビンゴカード自体を燃やされたような衝撃がある。特に照史くんは顕著だった。コンサート終盤のたった一言で、この人がいい……と涙が出てしまったのだから、もうそういうものなんだと思う。諦めるしかない。抵抗したって仕方がない。そういう気持ちって、自分の思いもよらない方向から銃で撃たれるのって、非日常だ。そういう出会いを、知らず知らずのうちに探しているのかもしれない。一度撃たれてまた起き上がって、また撃ち殺してくれる銃口をさがす。

ただ、今は照史くんに毎日機銃掃射を受けるような日々を送っているため、しばらくウォーキングデッドにはならずに済みそうである。

美しい人生の幸福なシーン

数年前、横浜アリーナの立ち見席でコンサートを見た。

立ち見席は文字通り「立って見る席」で、会場への入り口も指定席の観客とは違う。外に番号順にぞろぞろ並んで、番号ごとに区切って会場内に案内される。私は立ち見席でも一番壁側、ステージからは一番遠い場所に立たされ、ああ今日は何も見えないな……スクリーンを見て雰囲気を味わおう……と、ペンライトと双眼鏡をバッグにしまった。

開演を待つ間、不意に周囲から歓声が上がり始めた。タレントが登場したときの、条件反射で出てしまう黄色い声。隣の女性が真後ろの壁を見上げて双眼鏡をのぞき込んでいた。私も壁に向かって振り向いて、上を見た。

数人の男の子たちが、真上にある指定席に座るところだった。多分7~8人くらいはいただろうか、眼鏡をかけたり、マスクをしたり、それとなく顔を隠すような様子だったので、「ああ、これが"見学"か……」と、そこで気づいた。ジャニーズJr.の男の子たちが、先輩のコンサートを見学しに来ていたのだった。開演前、まだ会場内が明るいときに席に着いたので、周りの観客がそれに気づいた。

私はそっと双眼鏡を取り出して、隣の女性と同じようにのぞき込んだ。細面の男の子の顔がレンズいっぱいに映し出されて、ステージにいないときでも、元が一緒なら、やっぱり粉が飛ぶようにキラキラしているものなんだと実感した。つるんとした顔は、内側からぼんやり光っているように感じた。
私はその男の子の名前を知っていた。森田美勇人くん。雑誌やテレビ番組でよく見かけていた。

ジャニーズ事務所」というひとつの世界は、不思議な世界だなぁと思う。
私たちは憶測であれこれ語ってみるけれど、確かなことは彼らが話さない限りわからない。きっとそうなんだろう、という信じたいお願い事のようなものを胸に、コンサートへ行くしラジオを聞く。雑誌を買うしCDを買う。守られているようで、本当はそうでもないようだ、と感じることもある。お知らせは急だし、急なわりに会える機会は少ない。なぜこの子たちがテレビに出られないんだろう、と、至極まっとうに不思議に思うことがある。インタビューの記事を読んでわかったような気持ちになっても、嘘なんていくらでもつける。この仕事が楽しかったです、もっと頑張りたいです、と語っていた子が、次の季節にはいなくなっていたりする。そのときに私たちは「あのときも、あのときも」と、時間差の答え合わせをして、腑に落ちたような気持ちを味わう。けれど、彼が本当に事務所をやめたかどうかを、私たちが確かめる手立てはない。彼が「辞めました」と言わない限り、私たちはスパンコールがぱらぱら散らばったステージの上に、そのどこかに彼がいないかと、必死に探し続ける。もっとも、今後今回のような「例外」が、一般的になっていく可能性もあるけれど。

去った彼らが、時間や若さや体力を費やして、平等に与えられたわけではないチャンスに手を伸ばして、得たもののすべて。私が知らないことに気づいているファンもいる。そして、ファンの誰もが気づいていないことを、本人はすべて知っている。口にするかしないか、彼が鍵を渡されている。

あの日、壁の下から、壁の上にいる森田くんを見上げた。森田くんは下に少し身を乗り出して、こちらに小さく手を振って会釈した。

私は、それがすべてなのではないかと思ったのだった。美しい男の子が、美しさや強さ、そういうものをひっくるめた個性を認められて、ガラスのドームの中に入る。偽物の、やけにキラキラした銀色の雪が降るドームの中で、彼らは外から向けられる目や、外から振られる手に対して、自分がどうやって向き合っていけばよいのかを模索する。模索し始める。そして、模索し終わる。

笑って手を振る彼が美しかったことしか覚えていない。彼らは美しく生まれて、美しく成長し、美しい人間として、彼らなりの美学を身に着けて、そしてまた違う場所で生きていく。

人生は続いていく。とても好きな言葉だ。見えなくなった場所でも、生き方を変えても、生きている限り人生は続く。夢のようなステージが終わっても、次の日は来る。かなえたくて仕方がなかった夢が終わっても、ちゃんと次の日は来る。映画のように、ドラマのように、そこで終わったりしない。私たちが生身の人間として与えられた仕組みで、一番強いものがそれなんじゃないかと思う。

これからの話をしただろうか。仲間で、何か食べながら話したりできただろうか。私が考えうる一番幸福なシーンが、現実だったなら素敵だ。

2018/10/27 大坂

一泊する予定が、当日の夜に仕事の予定が入ったため、急遽日帰りに。ギリギリまで新幹線を取らなかったのは正解だったのかもしれない。旅行会社に駆け込んで新幹線を取ると、もう大阪直通ののぞみが満席だった。自由席にして座れなかった時の体力消耗を考えて、始発のひかり出発、広島乗り継ぎにした。致し方ない。早起きはなんとかなる。

前日に飲み会でしこたま飲まされたため、父に新山口駅まで送ってもらう。早朝5時。本気で申し訳ないので、行き道でコーヒーとサンドイッチをごちそうした。仕事が終わっていなかったので車の中でパソコンを触っていたら車酔いする。

早めに新山口駅に着いたので、待合室でテレビを見る。確か、風疹か何かの特集をやっていた。朝イチのひかりで広島駅まで移動し、広島駅のホームで20分ほど待機、そこからのぞみに乗り換えで大阪へ向かった。何かイベントがあるのか、車内はわりと込み合っていた。隣に座っていた女の子二人が、USJのハロウィンイベントに参加するらしく、ミニオンのコスプレをしていてかわいかった。途中まで同じ行先だと思っていてごめんよ。

新大阪駅着、そのまま地下鉄御堂筋線に乗り換えてなんば駅へ向かう。完全に松竹座へ行く道順だったので、比較的よく松竹座へ通っていた数年前が懐かしくなった。歩きなれた道だったので、迷いもせず助かった。「喫茶アメリカン」で友人と待ち合わせだったので、松竹座の前を通って、金龍ラーメンの看板を右折、アーケードに入ってすぐのところにお店はあった。私が一番最初に到着、それから友人二人がやってきた。

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モーニングセットのホットケーキを食べる。私が写真を撮るとあんまりおいしそうに見えないが、ツルツル系ではなく、なんていうかスポンジ系のホットケーキで、シロップがよく染みておいしかった。

茶店を出て、心斎橋の「もじパラ」へ向かった。黒うちわと文字シールを買う。ハロウィンだし、なんとなくかわいいかなと思い、文字の横に小さな悪魔の羽根を二つ付けようと思い、それも買った。もじパラ、ただ文字のシールが整然と並んでいるだけなのに、なぜあんなにテンションが上がるんだろうか。なんとなく、京都にあった「からふね屋」に行くとテンションが上がる感じと似ている。カラフルな文字シールがたくさん並んでいるもじパラと、カラフルなパフェがたくさん並んでいるからふね屋。

そろそろ開場時間が迫っていたので、もじパラから歩いて梅田芸術劇場へ向かった。道中あれこれくだらない話をする。茶屋町に来たのは久しぶりな感じがした。学生時代、テレビ局の職場見学に連れて行ってもらったとき以来。あのギュッとなっている感じが好きだ。

既に開場していたので、入場して写真を買う。場内の赤じゅうたんが気に入った。座席に座って、とりあえず黒うちわに先ほど買ったシールをペッペと貼り付け、うちわを作った。文字シール、なんて偉大なんだろうか。おかげで化粧を直す時間も、双眼鏡のピントを合わせる時間もあった。

開演。ヒイコラ笑った。

終演後、外の広場で同じ公演を観た友人と合流して、ぼちぼち梅田方向へ向かう。入る店を決めていなかったため、RPGのパーティーのように連れ立ってしばらく歩いてしまったが、地下のパスタとビールのお店に入る。

若干時間が迫り気味だったうえ、山口に帰ってからの仕事を考慮して飲酒できなかったのが残念だった。おいしい白葡萄ジュースと「ぺぺたま」を食べる。パスタが太くて焼うどんみたいでおいしかった。

新幹線の時間が来たので、友人三人と別れて、新大阪駅へ向かった。わりと余裕を持って動いたはずだったが、新大阪駅に着いたとき、もう割と時間がなかった。改札外のリブロで春口裕子『行方』の文庫本を買って、ホームへ上がり、帰りののぞみに乗った。帰りは隣の席に誰もいなかったため、気が楽だった。

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新山口駅へついて、バスに乗って仕事場へ向かった。先日の東京に引き続き、弾丸旅行が趣味ですと言って差し支えのない弾丸ぶりだった。

東京に行きすぎることはないのよ

照史くんの舞台を見に東京へ行った。一泊して帰る予定だったけれど、次の日が仕事になったので、日帰りにした。弾丸も弾丸で、舞台を見る以外はスタバでお茶を飲むことしかしていないけれども、それでも街の空気を吸って歩いてなんだか不思議と気晴らしになった。

相変わらず東京の地下鉄は難しく、「直通」の意味が理解できていなくて降りる必要のない地下鉄から降りたり、「連絡通路」が理解できていなくて出る必要のないホームから出たりした。Kindleでパラパラ見ていた「甘味特集」で、尾上松也さんが紹介していたパレスホテル東京のマロンシャンティがむちゃくちゃおいしそうに見え、朝、羽田空港から直接行って食べようと思い大手町で降り、地下通路からホテルに入ったら、ラウンジの立てメニューに「土日祝日の朝は、ご宿泊のお客様のみのご利用となっております」的なことが書いてあり、すごすごと退散した。知らなかった……。知らなかったうえ、なんだかとても素敵なホテルで、普通のカジュアルでロビーに立っていること自体が恥ずかしかった。もう少しちゃんとした格好ができるようになったら食べに行きたい。それか、テイクアウトかな。

そのあと、それならこっちに行ってみようと、「喫茶you」のある銀座まで地下鉄に乗った。マップを見ながら、松屋付近でなんだかものすごく迷い、ぐるぐると松屋の周りを回り続け、やっとたどり着く。

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無念、行列……。このときもう11時半。13時に六本木で待ち合わせだったので、並ぶのもあきらめた。松屋の近くにあったスターバックスに入って、チーズケーキとほうじ茶を頼んだ。レジのお兄さんがものすごく素敵な笑顔で接客してくださり(ストールを巻いていた私を見て”寒いですね!”と超かわいい寒い仕草をしてくれた)(自分でもちょろいと思うがこういうことをされるとときめいてしまう)、街ってすばらしいな……と思った。

そのあとよろよろと六本木へ向かい、六本木から六本木EXシアターへ行くまでにもうひと迷いし、へとへとになって劇場にインした。膝が笑っている……。

黒柳徹子さんの主演舞台だったので、ご年配のご夫婦がいらっしゃったり、徹子さんの熱心なファンと思しきご婦人がいらっしゃったり、新鮮だった。私の前に座っていらっしゃった女性4人は、純粋に舞台がお好きらしく、パンフレットを見ながら「この子がジャニーズ?」「ぽくないね」「もっと若く見えるね」「太鳳とドラマに出てたから私は知ってるわよ」とお話されており、そうです、あなたの太鳳とドラマに出ていたんです……と心の中でうなずいていた。舞台の感想はまたいずれ。照史くんの舞台で久しぶりに泣かなかった。強くなった気がした。

終演後外に出ると、もう薄暗かった。飛行機は19時ごろだったので、余裕もなく、その足ですぐ羽田に向かった。ベルンのミルフィーユを家族のお土産に買い、保安検査を抜け、ものすごく端っこにある搭乗口行の、バス待合所への歩く歩道に乗った。大体山口行は搭乗ロビーの一番端。あまりにおなかがすいていたので、搭乗口へ行くまでのショップを全部のぞいて、おむすびやサンドイッチのちょっとつまめるものがないか見て回ったが、何にもなかった。お弁当はあるけれど、疲れていてお弁当ひとつを食べる力がなかった。結局、最果てのショップにあったベーグルの最後の一個を買って、待合所で急いでモソモソ食べた。東京らしいもの、何も食べられなかった……。

帰りの飛行機は、誰かがお酒を飲んだ後の匂いがした。結婚式とかだろうかと思った。ギリギリに取った飛行機の席は、三人掛けの一番窓側。通路側に一人男性が座っていたけれど、間が空いていて快適だった。

舞台のことを思い出していたら、気づかないうちに雨が降ってきて、飛行機の翼が濡れていた。なんだか切なくなってしまい、機内放送でAimerの「Black Bird」を聞いていたらちょっと泣いてしまった。閃光にやかれたデヌーセ少佐。それでも生きている、生きなきゃならないデヌーセ少佐。それを演じた照史くん。愛おしくて救われて少し悲しい。やっぱり照史くんのことを尊敬するし、ああ好きだなと思った。思いながら飛んでいた。

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かわいいうえに生意気だ

猫がうちに来てもうすぐ2年になる。ある日、職場の先輩が「トンビにつつかれて死にそうやったけ、連れてきてしもうた」「誰か飼う人おらん?」と連れてきたのが、まだ手のひらサイズの「うみ」だった。黒ともグレーともつかない不思議な色をしていて、段ボールの中で元気にうろつき鳴いていた。

そっと箱の中に手を差し込むと、私のカーディガンをがしがしと昇ってくる。私は家族に「連れて帰ってもいい?」と確認して、「こみねが飼うならいいよ」と返事をもらった。不思議な感覚だった。自分が動物を飼うなんて。段ボールの中に水とえさ(家が近所の猫飼い社員が持ってきてくれた)を入れ、うみを待たせ、定時になったら職場を飛び出し動物病院へ行った。 元気な生後2週間の雑種だった。

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うみはムクムクと育った。膝にのせても重さを感じなかったころを過ぎ、今はもはや膝からはみ出す。抱いていると重い。子猫のころのおもかげを残しつつ、顔の丸い、幸福そうな猫になった。よその猫もみんなかわいいと思うが、なんだかうみのことは特別かわいく感じる。これが親心なのか……と思いつつ、毎日うみの抜け毛をコロコロで取っている。全然嫌じゃない。

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猫より犬派だった父は、あまりに小さいうみを見て、しばらく「この猫は小さすぎんか」「大丈夫なんか」と心配していたが、一緒に昼寝をしたり、手からエサをやったりするうちに、すっかり猫派……もとい「うみ派」になっていった。父が帰ってくるバイクの音がすると、うみは玄関まで走って行って出迎える。

ずっと猫を飼ってみたかった母は、うみを非常にかわいがった。太らせないようにエサの量を管理したり、スーパーで見かけたおもちゃを色々と買ってきたり。うみもそのかわいがりを素直に受け止めて、夜は毎日母と寝て、食後は母の膝の上でねむった。

うみが家に来てから、会話が増えた。私は日中家にいないので、家にいる母が「今日のうみくん」を毎晩報告してくる。しゃべったとか、寝方がかわいかったとか、そういうことを毎日聞いている。父と母には共通の話題があまりなかったが、「うみ」という共通の話題ができたことで、前より楽しそうにワイワイするようになった。

私は、うみを中心に話している父と母を見ると、「もしかして、私を育てていたときの父と母はこんな感じだったのかなぁ」と思う。平易な言葉で話しかけ、何かができたら褒めてやり、しきりに写真を撮る。年賀状にも載せる。私はもちろん両親が私を育てていたときのことを覚えていないけれど、なんとなく、今それを俯瞰から見ているような感覚がする。たまに私のことを「うみ!」と呼んだり、うみのことを「こみね!」と呼んだりするので、その感覚はあながち間違いでもないのだと思う。

現に、私はうみから1番尊敬されていない。多分姉弟くらいに思われているのだと思う。拾ったのは私なのに……と思うが、うみにとってそれはまったく関係のないことで、うみには父と母がエラいのである。日中家にいてごはんをくれる母が1番エラく、たまに「ちゅーる」をくれる父が2番目にエラく、トイレ掃除をする私はあまりエラくない。猫なんてそんなもんなのである。かわいいうえに生意気だ。

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深夜に帰ったらすること

最近(特に週末)深夜帰宅が多く、ほんとーーーにまずいことだけれど化粧をしたまま寝てしまうとか、帰ってきた恰好のまま、リュックを背負ったまま床で寝てしまうとか、そういうやばい出来事が多くなってきたので、自分的「とりあえず化粧を落としてシャワーだけは浴びて寝る」テクニックを、自分のためにまとめておきたいと思います。日本全国の寝落ち女子、ノウハウを教えてくれ~~……。

 

絶対にやってはならないこと

  1. とりあえず座る(横になる)
    マジで座ったら最後、次我にかえったときは朝だと思ったほうがいい。ちょっと休憩してシャワー……とか甘いからな! 絶対に座るな、座るならシャワーを浴びてから座れ、どんなにおなかが空いていても深夜帰宅後すぐに食べるため座るのはやめてください。ソファに横になるのはもはや論外。

  2. とりあえず部屋に行く
    お前の部屋ベッドくらいしかないんだから、部屋まで行ったら絶対ベッドに転がっちゃうだろ?転がったら寝るだろ?朝だろ?終わりじゃん。
    荷物があってもまったりしたくても、とりあえず部屋に行くのはやめてください。

  3. とりあえず冷蔵庫を見る
    これは上ふたつとはちょっと流れが違うんですが、深夜に冷蔵庫を見る=暴飲暴食の引き金でしかないのでやめてください。台所の滞在時間はなるべく短くしてください。視界に食べ物を入れるんじゃない。

 

帰宅後行うことの手順

  1. 風呂場に直行する
    どんなに荷物がたくさんあっても、どんなにおなかが空いていても、リビングに入ってよっこらしょと腰を下ろしてしまったら最後なので、とにかく一瞬たりとも座らず、寝っ転がらず、何もかもを差し置いて風呂場へ直行して服を脱ぐ。
    もちろん服を脱いだら化粧を落としてシャワーを浴びてください。
    冬季はもちろんお湯に浸かってかまわないけれど、寝るのを避けるために、お風呂のふちに「あ~~~」と寄りかからないでください。

  2. 即髪を乾かす
    部屋にドライヤーを持って行って髪を乾かそうとすると、髪を乾かす前にベッドに「ちょっとだけ……」と横になってしまい、そのままとうもろこしのひげみたいな頭で目を覚ますことになるので、部屋で乾かさないでください。
    ヘアオイル等は全て風呂場の洗面所に置いておいて、シャワーが終わって体を拭いたらその場で髪を乾かしてください。
    ちなみに、帰宅後風呂場に直行するため、寝間着の類を風呂場に置いてから家を出るか、もうなんなら風呂場から部屋まで素っ裸で移動してもかまいません。深夜なので家人は誰も見ません。帰宅後部屋に寝間着を取りにいくなどという愚行は犯さないでください!! とにかく帰宅後即シャワーが鉄則です。

  3. スマホの充電
    シャワーが終わったら、洗面所に置いていたバッグ等を持って部屋へ。
    部屋へ入ったらすぐ、コンセントに挿しっぱなしにしているライトニングケーブルへスマホを接続して、サイレントモードを解除してください。
    もうこれで「化粧をしたまま寝る」「スマホの充電不足で毎朝のアラームが鳴らない」というふたつの激ヤバやらかし峠は越えたので、もしもうここで死にそうであればここで死んでください。

  4. スキンケア
    スマホ充電後、まだ余力がありそうならスキンケアをしてください。
    化粧水ではなく乳液からつけて、朝起きたとき顔がパッサパサでつらくならないようにするとよいと思います。化粧水だけで力尽きると、わざわざ頑張ってスキンケアしたのにあんまり意味がないパサパサ加減なので。

  5. 寝る
    ここまでフルコースでできたら自分のことを褒めていいです!本当は洗濯もしたいし手帳も書きたいかもしれませんが、とりあえず10分でも多く寝てください。

 

 

万が一座ってしまったときは?

万が一「座らない」という鉄の掟を破って座ってしまった、そしてそこから立ち上がれない……というときは、化粧だけでも落としてください。

 

 

ズボラボ 夜用ふき取り乳液シート 35枚

ズボラボ 夜用ふき取り乳液シート 35枚

 

部屋にもダイニングにもふき取りのメイク落としがあるので、今すぐ寝たいお前のために過去の私が用意しておいたので、とにかく化粧だけは落としてください!未来の私を守ってくれ!


スマホは残り10%でも、バッテリーが残ってさえいればアラーム鳴るので、0%でシャットダウンしている状態でなければそのままでも大丈夫です。
ただ「ベッドでアラームかけずに寝落ち」は寝坊のリスクが高すぎるので、ベッドで寝落ちしそう、かつスマホの充電がまったくなければ、なんとかベッドから手を伸ばしてライトニングケーブルを引っ張って接続してください。頼んだぞ! ダイニングで寝落ちするときは、多分猫かお母さんが起こしてくれる(もしくは体が痛くて起きる)ので、大体なんとかなります。

 

 

音楽劇「マリウス」おぼえがき

海のにおいが濃すぎる日は、なんだか吐き気がしそうになる。潮のかおりというより、生臭い血のような、DNAを極限まで煮詰めたような、とにかく嗅覚が処理しきれない濃密さで脳に迫ってくる。
そんな日に、係留されて港でぷかぷかと浮き沈みしている船を見ていると、たまらない気持ちになるのである。ちぎれてどこかへ行ってしまえばいい。私は船を運転する資格を持っていないけれど、このかわいそうな小船に乗って、エンジンを回して、転覆してもいいから沖まで出てしまおうかと思う。

 

ファニーという、かわいらしくてひたむきで、個人のノスタルジアを詰め込んだような女の人間は、この舞台を観る人観る人それぞれの「故郷」なのだと思う。いとおしくて突き放せない。愛していて願いをかなえてやりたいという気持ちになる。けれど、手放さなければどうにもならないと思い詰めることもある。

 

自分勝手に、何もかも捨てて、忘れて、生きることができるなら、それはそれでいいと思う。けれど、どんな極悪非道な人間にもそれはできない。生まれた場所、誰かと一緒に過ごした記憶、海辺で誰かを抱きしめたときの湿度、そういうものが脳の中には染みついている。それをなかったことにすることはできない。故郷の記憶は呪いなんじゃないかということは、この舞台を観る前に思っていたことだった。私に故郷がなかったなら、故郷以外に行きたい場所を持たなかったなら、どんなに楽だっただろうと。故郷を出るか出ないか、いつか帰るか帰らないか、そこに今もある、自分を知る人たちのことをどうするか、そんなことは全て、消えない呪いのようなものなのかもしれない。

 

どこかへ行く私を許してほしい。許されることを望むことを、どうか強い力をもって断罪してほしい。

 

係留されている船のロープを切って、私は誰のものとも知れない小船に乗り込む。二度と帰ってこないと言えたら、私はもっと強い人間になれるんだろうか。

 

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