幸福な他人同士

スキャンダル、スクープと呼ばれるものはたくさん見て来たけれど、自分が肩入れしている人のそれを見たのは、おそらく初めてだった。

「まさか」より「そうか」だった。報道を見たときも、それに伴う処分が知らされたときも、「そうか」と思った。深夜のベッドで横向きに寝転がり、明るいiPhoneの画面を見つめていた。そうか、そうか……と頭の中でつぶやきながら画面をスクロールし続けていたら、あっという間に明け方近くになってしまっていた。

多分、落ち込んでいたのだと思う。落ち込みの中に、少しの恥ずかしさみたいなものがあった。私がこの人のこういうところが好きだ、素敵だと語っていた人が、こういう風に世に知れ渡ってしまい、恥ずかしいなと感じた。本当はそんな人じゃないんです、と言えるはずがない。私は彼の一部分しか知らないし、すべてを知る権利はこれから先ずっとない。本当はそんな人なのかもしれない。ファンとして生身の人間を好くとき、私はいつでも「本当は〇〇かもしれない」という可能性を抱えながら、全然重くありませんよという顔をしている。けれど、やっぱりそれは確かな重みのある可能性なのだった。今、手の中でズシンと重みを増している。

こういう類の話題が立ったとき、私は意識してそれに触れたくなかった。”自分に語る資格はない”と思っていたからだ。けれど、語ることに資格はいらないし、資格がいるとしても、誰にでも語る資格がある。

ファンとして誰かと接するとき、ふと「どういう気持ちでこの人(またはこの人たち)と接すればいいのだろう」と考える。手を振ってもらって歓声を上げるとき、素晴らしいパフォーマンスに感動するとき、語られるエピソードにときめくとき、こんなに幸福な瞬間はないと感じる一方で、ひどく残酷なことをしてしまっているのではないかと思うこともある。法に背くことをたとえしていなくても、私がファンとしてしている行為は、果たして正当なものなのだろうかと思うことがある。それは時折見かける「アイドルを消費する」という言い回しと、共通するエッセンスを含んでいる。

ファンの数だけ、アイドルとしての姿があるのだと思う。これはおそらく間違いないことだ。「アイドル」「ファン」「消費」「応援」「推し」みたいなキーワードが関わってくるから、なんとなくねじって考えてしまうけれど、おそらく根源にあるのは「人間対人間」というシンプルな元素だ。自分を産んだ親の気持ちや、一番の親友の気持ちを100%理解することができないように、どんなに近しい人間でも、完全に理解し合うことはできないし、その対象を完璧に知りつくすことはできない。「私の中のあなた」というだけだ。Aさんに関わる人が100人いたとしたら、100通りのAさんが、100人の中にそれぞれ存在する。その100通りのAさん像の中には、似たものもあるだろうし、似ても似つかないものもある。

この「Aさん像」がぴったりひとつに一致しないからこそ、「誰かを応援する」というビジネスが成り立つんだと思う。成り立ちながら、永遠に揺れる、不安定で莫大なエネルギーを持ったものであり続けるんだと思う。正しいも間違いもない。人付き合いに正解がないように、親子づきあいに正解がないように、人それぞれの形があり、そのいびつさもすべて含めて、人間と人間の関係だ。利益や損得が介在しても、していなくても、正解がないこと自体に変わりはない。これが残酷だと言うのであれば、人間関係の多くが残酷なんだろう。

「そうか」をひたすら積み重ねて、私の気持ちははるか上空のあたりに上っていったようだ。高い高い場所にいると、「手を離すのはいつだって私なんだ」というところへ行きつく。どんなに好いているアイドルでも、ファンをしているのが楽しくても、手を離したければいつだって離したらいい。自分が許せるか、許せないか。手を離しきれるか、離しきれないか、それだけだ。実際に触れあわない、遠い場所にいれば、そういう別れ方もできる。自分が手を離したくても、相手が離してくれないことは、近しい人間関係ならままある。いくら振り払っても追いかけてきてしまうこともある。でも、アイドル対ファンである彼(彼ら)と私では、そんなことはないのである。私がアイドルである彼(彼ら)の多くを知れないのと同じように、彼(彼ら)も私の多くを知れない。私がまじめに「ファン」でいる限り、決めるのはいつだって私だ。

それはさみしいだけのことではなく、とてもやさしいことでもあるんだと思う。彼(彼ら)と私とは、手を握り合ってはいても、永遠に知り合わない。この手は私という個人の手だと、名乗って握ることはない。知り合いたいと願う人もいるだろうけれど、私はそうしたくない。知り合わないから、私は絶対的な「ファン」という立場で、手を離そうか、離すまいか、「そうか」を積み重ねながら決めることができる。無責任に幸せを祈ることもできる。

私はまだ手を握っている。あたたかい手だとも思う。この数日、私が考えていたことは、他人にとってはばかばかしく、取るに足らないことかもしれない。それを決めるのも私だ。そして彼(彼ら)のこれからを決めるのも、彼(彼ら)でしかない。
この断絶は埋まらないけれど、埋まらなくていい。埋まらない方がいい。だって私たちは手を握りあってはいても、幸福な他人同士なのだ。そんなことを考えていたら、いつの間にか4月が来ていた。

雪がとけたら何になる?――Snow Man Summer Paradise2019

 水道橋駅で「今年が最後のTDCだろうね」という声を耳にした。そうか、と不思議な気持ちになる。できることが増えるだけでなく、できないことも増えていく。それが「人気になる」ということなのかもしれない。増員のニュースで彼らに注目し始めてから、88日のデビュー発表まで、本当にあっという間の出来事だった。「あっと言う間」のどこかに記憶のピンを打っておきたく、私はSummerParadise2019のチケットを取った。

 

 場内はもちろん満員、8色に光るペンライトがあちこちで揺れている。蒸し暑い外気が遮断された地下の会場は、ひんやり冷えていた。客電が落ち、先日の東京ドーム公演映像を編集したVTRが流れる。歓声とともに9人が現れた。

 

 まず圧を感じた。親しみやすさより、二次元のような整った美を強く感じる。「Party! Party! Party!」の、クラブのドア越しのようにこもったイントロ。その中に立っている姿を、上手から下手、下手から上手と何度もながめた。め、目が足りない……。フォーメーションを変えつつあちこちで起こるアイコンタクトや、ちょっとした合図の交し合いに、いちいちドキドキしてしまう。

 

 オリジナル曲「Make It Hot」「Boogie Woogie Baby」などは、YouTubeやテレビ番組での披露からさらにブラッシュアップされていた。振り付けが体に入った段階から、踊り込んで深まっていることがよくわかる。ちょっとした手足の角度、ジャンプの高さ、移動のタイミングなど、終始統率がとれていて危なげない。ただひたすら「かっこよさ」を浴びることに集中できる。

 

 クールでボディコントロールが巧み、直線的な岩本くんのダンスと、情熱的で花茎がしなるような宮舘くんのダンスが共存しているのも面白い。ラウールくんの圧倒的に目を引くパフォーマンスを内包しながら、全員が際立って見える。佐久間くんは文字通り「飛び道具」だ。力強く土台を蹴って宙を躍る。何度見ても、このタイミングだとわかっていても、彼が跳ぶと口を開けて感嘆してしまう。阿部くんはソロ曲(曲前のドキドキさせるコメントも含め)のセルフプロデュースに彼らしいサービス精神を感じ、渡辺くんには磨いた歌を聞かせたいという一本気がある。深澤くんのコント、MC、そしてパフォーマンスを網羅したバロメーターは安定しているし、元来のかわいらしさにスパイシーなかっこよさがプラスされた向井くんには、今までとは違う破壊力がある。曲中、佐久間くんと挑発的に額を合わせたり、隣に立つ阿部くんと絡んだりと「いじられ待ち」されることが多かった目黒くんからは、天性の色男ぶりを感じた。

 

 目黒くんと向井くんのユニット曲「Lovin’U」は、彼らの持つウエットな魅力が活かされていた。特別な誰かに見立てた照明を追って膝を折る目黒くんと、切なげに、かつ愛おしげにほほえむ向井くん。滝沢歌舞伎2018の映像で目黒くんを見たとき、こんなに感情を表に出してパフォーマンスする人だったのかと驚いた。特徴がないほど整ったルックスを、惜しげもなく乱して表現する姿はギャップそのもので、思わず見入る。向井くんがつくる表情は、見ていると心臓の奥がキュンとなってしまう。今すぐごめんねと謝って抱きしめたくなるような、まさに子犬のようないとおしさ。

 

 その「ウエットさ」に関連して、今回のセットリストで一番印象に残ったのが「蜃気楼」だった。夏の終わり、大切な何かが消えていく切なさを歌った先輩の楽曲。自分の力ではどうしようもできない喪失が、穏やかなイントロと共に始まり、サビに向かって盛り上がっていく。だんだんと強くなって止む通り雨のような、打ち寄せては引いていく波のような、盛り上がりと静寂が寄せては返す1曲だ。それに乗せて、メンバー9人が各々の表現力をいかんなく発揮している。表情にそれぞれ物語があって、差し伸べた手にも意味が宿る。細かい振り付けがギュッと詰まった間奏はエモーショナルだし、曲が終わったあと、つい歓声を忘れてシンとしてしまう雰囲気も好きだった。

 

 過去、私がSnowManのパフォーマンスから感じていたのは「完璧さ」だった。完全無欠のフォーメーション、一糸乱れぬアクロバット。その仕事ぶりから、どこかドライな印象を受けていたのも事実だった。けれど、実際ステージに立つ彼らを見ると、その印象はどこかへ消える。凍ったあと表面だけ融解した氷のように、中まで透き通って見通せるのだった。そうか、氷はもともと水だったんだ、と、当たり前の自然の摂理が頭に浮かんだ。かたく凍り、溶けて包み込み、温度を上げれば沸き上がる。もともと、そういう名前を与えられた人たちだった。彼らはずっとドライなんかではなかった。触れてみなければわからないし、知ったつもりもできるはずがない。いつの間にか忘れていた。ステージへ、舞台へ行って、動くところを見て、つづる言葉や喋る言葉に触れてみなければわからないし、それでもつかみきれない何かがある――というより、一生わからないままなんだろう。紺の衣装を翻す9人を見て思った。

 

 「雪がとけたら何になる?」。お決まりのなぞなぞだ。これから来る冬を越えて、2020年、彼らはCDデビューする。「いにしえの桜」と高らかに歌い上げていた彼らのところに春が来る。彼らが来年咲かせる桜は、どんな桜だろう。公演後、夏の東京ドームシティを歩きながら、そんなことを考えていた。

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Summer Paradise 2019 8/24

さまぱら!行ってきました。

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TDCホールは初めて入ったんですが、やっぱ「会場に入った後、下に向かってエスカレーターで潜っていく」会場ってめっっちゃテンション上がる。さあいくぜときめきのアンダーグラウンドへ……という感じで鼻血が出そうだった。OP映像、ドームの映像をギュッと詰めたかっこいい編集のやつでもう初っ端から各方面に感謝。セトリや雑誌のレポは一通り見てから参加した。以下、終わってすぐスマホにぶわーっと書いた感想を貼ります。

初・生SnowManだったので、9人並んだところを見てどんな感情になるんだろう?って楽しみだったんですが、予想以上に絵面が強すぎて怯えました。9人ってやっぱりズラッて並ばれたときの圧迫感がすごい。両脇に4人ずつ8人のお兄さんを従えたラウールが、エヴァみたいな三次元離れしたスタイルで立ってるの本当にゾクッとする。ラウールはSnowManに加入したころの彼と比べると、ビジュアルの子供っぽさがゴリゴリに削られていて、周囲の扱いが変わったり、忙しくなってほっそりしたりしたのとは別に、本人の努力や精いっぱいの背伸びもあるんだろうなぁと思いました。「そのままでいいよ」といくら言われても、多分彼は頑張って背伸びするだろうし、その姿にはものすごい引力があるだろうなと。踊ってるところをじっと見て、こんなに「体が邪魔そう」に踊る人って初めて見たかもしれない、と思いました。長い手も足も、ラウールがどんどん「上がって」いくのについていけない、体から魂だけ取り出して踊れたら彼はどんなに気持ちいいだろうなぁと。ボディコントロールとか配分とかは全く別のあれこれで、とにかく俺の魂見てくれ!っていう感じ、やばかったです。でもMCになるとマイクを両手で挟んでころころしたり、めめこじが仲良くしてるところに自分もくっついていったり、いろんな人とアイコンタクトとったり。これが沼ってやつか……。

みんなお化粧が上手。ひーくんはわりとアイメイクもしっかりしてる……?のかな?舞台が多かったからお化粧も上手になったのかな~と思いました。いわなべだてはお化粧してますっていう感じの肌感だなぁと。中でもしょっぴーはファンデ塗ってるだろうなとは思わせつつ、地の肌がきれいじゃないと絶対そうならないだろって感じの透き通り方をしていたのでヒエッとなりました。こだわっている男は違う。本当に陶器みたいでありつつもちゅるちゅるしているのですごい。

ふっかさんが自己紹介ラップのときに「俺、二枚目だから」って言ってらしたんですが(IslandTVネタですね多分)、いやマジでふっかさんは二枚目ですよね現場に来て改めて実感しました……という感じでした。なんというかふっかさんの「あしらい」が最高なんですよね……。ファンとの距離感もメンバーとの距離感も、とにかくスマートでそれでいて冷たくなくて、全部いい男がやるやつなんですよ! 力が抜けててナチュラルなのに、ふいに見せる横顔とかに憂いがあったりするんですよ! フッカサン……。私自分のことをかっこいいと思ってくれるアイドルのことがすごい好きだなと思っているんですが、ふっかさんもちゃんと「俺はかっこいい」と思ってくれていそうで好き。それは多分生まれつき持っている自信なんじゃなくて、いろんな人に人柄や努力含め認められてきた地盤があってこその自信なんじゃないかなと思う。ひーくんと二人の曲は、「めっちゃ強い部活の部長(ふっかさん)と絶対的エース(ひーくん)」感があってよかったです。俺たちが引っ張ってトップ目指そうぜというオーラがメラメラしていた。

阿部くんだけ様子がおかしいぞ???という瞬間が何度かあって困惑しました。CHUDOKUは完全に阿部くんの方が呑みすぎだよお水飲む?という目の据わり方とかわいさ。目が据わってるのにかわいいってなんなの?あとなんか語彙がベタでかわいいんですよね……「ラブラブしよう」とか……。「ラブラブする」死語では?本当にかわいい。ソロ曲、赤いジャケットを着た後、幕布がかかった階段を下りるのが危ないからか、5~6段くらいをまとめてポンと跳んだのに、なんか小学校の一番運動できる子に感じるときめきみたいなのを感じた。

歯を見せて笑う舘さまめっちゃカワイイ~~~!キュート!いひっと笑ったときのいたずらっ子感。みんな宮舘くんがオアシスかのようにちょちょちょっと寄ってくるので、他メンの精神安定を担っているのかな……かわいいな……。舘さまはパパっていうより、親戚のたまに会うおじさまみたいな。たまにしか会わないからちょっとドキドキするけど、あっやっぱり優しい……みたいな。

目黒くん、大きくておとなしい動物みたいな感じでカワイイ。じーっと客席見て自分のファン探すの、原始的なかわいさがある。なんというか大きい会場慣れしているパフォーマンスだなと思いました。動きが大きくて華やか。バック経験が活きてるのかなと。自分の干支がわかるようになっていて成長を感じた。丑年なんだ……それすらもなんかカワイイ……。あと本当にメンバー全員を平等に抱き散らかしていて笑った。ふっかさんの頭もポンポンするし、PPPの阿部くんはめめに何かしてほしそうな顔でアピってるし、こぉちゃんとはムビステの上でぴょんぴょんしてる。カワ~~~。

さっくん、そんなに縦幅がないステージで土台から跳ぶの本当に本当に見ている方が泣きそうになる。怖い!!!さっくんも何度やっても怖いもんなんだろうか。長年培ってきたスキルがあるとは言え、毎回リスクを負ってアクロバットしているのはかっこいい。さっくんはすごいことを全然すごくない顔でするなぁと常日頃から思っています。MC中にサラッと規定外うちわのこととかを、そんなに重くないトーンで「俺もオタクだからわかるのよ」と自分に引き寄せて話してくれたのはすごすぎました。コミュニケーション能力が高い!バランス感覚……。阿部ちゃんの後ろから乗っかっておんぶしてもらってたのチョーかわいかったです。

康二くんめちゃくちゃ大人っぽくなった……。関西で見ていたこぉちゃんと今のこぉちゃんは、構成するピースは一緒なんだけど、全く違う作品になってる感じがしました。べそをかいたりうまく自分が出せなかったりする瞬間も本当に美しいというか、男の子から男性になって、どんどん純度が上がってカッティングされていくところを見られて幸せです。配信のLovin'Uで、カメラを手に取ってちょっとはにかんだ顔を見せたところ、いろんな感情がこもっていて私は泣いた……。

個人的ベストアクトを1曲挙げるとしたら「蜃気楼」かな~と。SnowManってどうしようもない切なさとか、消えて行っちゃうものとの親和性がめちゃくちゃ高いなと思っていたので(グループ名も溶けていなくなる雪だるまだし)、個人的解釈と曲が一致した感じでした。緩急が付いた振り付けと間奏で気持ちが爆発する感じがすごい好きです。みんな切ない顔の表現力がエグい。あと単純にあの紺地に銀の飾りがついて、裏地が紫で裾がヒラヒラする衣装(語彙力皆無)がめっちゃ好みなんですよね……。王子様っていうよりは戦いそうな感じの衣装で、すのは「王子」じゃなくて「騎士」だなぁと思っていたので、なんかそこでも自分の頭の中のイメージが一致して嬉しかったです。



また思い出したら加筆するか、新しく記事を作って書くかもしれない。とりあえずの覚書です。前のブログ消しちゃって、どんな気持ちでアイドル見てたか全然思い出せないので、ちゃんと書いて残しとくのって大事だなって今更思っています!!!以上夏でした!!!


 

 

 

 

しれっとした顔でつける腕時計

そろそろ何か書かないとと思ってキーボードを打っている。

父から腕時計を贈られたことがある。
父は私に何か贈るとなると、いつも現金だった。祝封筒を渡されて「何か好きなものを買いなさい」と言われる。「こみねの好きなものを選ぶセンスがない」と言い、確かに私と父の気に入るものに共通点はあまりなかったし、今もない。けれど、私の大学の卒業式に出席した父親は、ふいに「明日、腕時計を買ってあげるから、好きなものを選んで」と言ってきたのだった。
卒業式の次の日、私は京都駅中の商業施設にある時計屋で、SKAGENの時計を選んだ。全体がローズゴールドで統一されていて、文字盤部分が鏡のように反射している。時計にこだわりはなかったし、「時間ならスマホで見られる」というタイプだったけれど、そのSKAGENの時計は、アクセサリーのようにかわいらしくて、大人っぽかった。
私はそれを父に買ってもらい、自分の腕に合うようベルトを調節してもらった。目の前で買ってもらっているのだから必要なかったが、父は「贈り物用に包んでください」と言った。ブルーの箱に収まった腕時計は、包装紙に包まれてリボンのシールを貼られ、私のもとへ贈られた。

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今思えば、父は私に、「大学卒業のタイミングで」「腕時計を」贈りたかったのかもしれない。誕生日や卒業・入学記念に現金を贈られることはあったけれど、ものをもらったのは物心ついてからは初めてだった。父なりに何か考えるところがあって、社会人になる娘に腕時計を贈ったのかもしれない。

私はその時計を気に入って、どこにでもつけていった。手を洗うときは外し、毎日決まった場所に置き、がさつな私にしては大事にしていた方だと思う。大学を卒業した春から初夏まで、3か月ほどだったか、丁寧に扱っていた。


その3か月の間に、身の回りのことはどんどん移り変わった。行き当たりばったりに大学を卒業した私は、そもそも腕時計を贈られるような立派な社会人になれていたわけではなく、あっけなく地元へ帰ることになった。京都から引っ越さなくてはならない、と決まった日も、私はその腕時計をつけていたし、目に入って「せっかく贈ってもらったのに」と苦々しい思いになることはあれど、大事にする気持ちは変わらなかった。
引っ越しの作業は、一人で、アルバイトや他の手続きをしつつ半月程度で行わなければならなかった。洗濯機や冷蔵庫はリサイクル業者に運び出してもらう。引っ越し業者の段ボールに日用品を詰め、知人に譲るものを配送する。やることは山積みだった。作業を進める間、私はパイン材の棚の上に腕時計を置いていた。そこが定位置だったからだ。棚にはこまごましたものが並んでいて、荷詰めに時間がかかっていた。他の作業を進める間、その棚だけは終盤までほとんどそのままになっていた。とうとう今日部屋を引き払うという日に、その棚の荷詰めを終わらせたのだった。
がらんとした部屋の中で私はハッとした。腕時計は?作業をするために外して、棚に置いていたはずだった。ここ数日は、重いものを持ったり掃除をしたりすることが増えるので、ずっと外しっぱなしで棚に置いていた。……はずなのに、その棚に時計はない。
私はあわてて荷物をほどき、一度敷地内のゴミ捨て場に出したごみ袋をあらためた。けれど、腕時計は見つからなかった。もしかすると、何かと一緒に捨ててしまったのかもしれない。数日前に捨てたカーペットやカーテンの中に、誤って丸め込んでしまった可能性もゼロではない。そうだったら、もうどうしようもない。何より、もう今日、私は京都から帰らなければならなかった。
ふがいなかった。京都から戻るとき、色々なことがあり色々な感傷があったけれども、とどめを刺したのはこれだった。
私は父に時計を失くしたことを打ち明けて謝るべきか、黙っているべきか迷って、結局言わなかった。父も贈った腕時計を私が付けないことに関しては、何も言ってはこなかった。


先日、父がふいに「あの時計、つけないな」と言ってきた。私は(自分で失くしておいて何を言ってるんだと思いつつも)驚いて、「大事にしてるから、普段はつけないんだ」と大嘘をついた。マジ自分何言っちゃってるんだと思いつつ、今さら失くしたとは言えなかった。
私はもう3年も父の前であの時計をつけていなかったので、てっきり「父はあの時計は失くされたものだろうと認識して何も言ってこないんだろうな……私の不注意な性格を知っているからな……」などと思っていたのだけれども、どっこい父は「あの時計、つけないな」と思っていたのだった。「気に入らなかったか」などと続けて言っていた表情からしても、嫌味で言っているのではなさそうだった。
働き始めたばかりのころは、高価な腕時計を買いなおす金銭的余裕がなかった。……というより、優先順位が低かった。たまにネットで在庫があるかどうか検索しては「いつか買い戻さなきゃ……」と思って閉じる、という行動を繰り返していたので、忘れていたわけではなかったが、腕時計買いなおすより、コンサートに行っていた。親不孝すぎる。今書いていてもお前最悪じゃんという感じなのだけれども、欲望に素直に行動した結果だった。
私は父の発言を受けて、改めて同じ時計を探した。どこもかしこも在庫がない。3年前に売っていた定番ではない腕時計なんて、在庫がないのは当たり前なのだけれど、それにしてもなかった。しつこく探し続けて、とあるネットショップに在庫があった。
ぐずぐずしているとまた売り切れるかもしれない。でも、でも高い……これを買うお金でサマパラに複数回入れる(チケットがあるかどうかは別として)……。私は悶絶しつつも、「購入」ボタンをタップした。ボーナスの一部を使って、私は無事3年越しに腕時計を買い戻すことに成功した。もしかしたら家に届く際、「時計」と書かれた荷物を父が見ていたかもしれないので「お父さんに勘づかれたっぽいので買い戻しましたよ」と言わんばかりにつけはじめるのは自重した。引き出しの中にしまっている。


失くしてすぐには買い戻せなかった時計を、自分で稼いだお金で買い戻せたことは、嬉しかった(いや、これも自分で失くしといて何が嬉しいんですかという感じかもしれませんが……)。地元へ帰って数年が経って、ごっそり失った自信が、少しずつ取り戻せている気がする。働いて、人と会って、経験を積み重ねて、以前はなかった余裕も少しならある。私は順風満帆にはいかなかったし、手に持っていたものを全部ぶちまけて転んだけれど、また拾い集つつ頑張っていることは嘘じゃない。謙遜するべきなのかもしれないけれど、それに関しては自分をほめたい。父が買ってくれた腕時計ではないけれど、あの時父が私にくれた思いに変わりはない。また手元に戻ってきて、本当によかった。
残りの夏はこの腕時計をつけようと思う。父に何か言われたら、うまくごまかす準備もしておきたい。私はこのまま、父に「もらった腕時計を失くした」とは言わないでおこうと思う。なんとなく。父は傷つくだろうし。嘘は悪いことだけれど、今回ついた嘘は、あんまり悪い類の嘘ではないように思う。
私は嘘が苦手で、なかなか一度ついた嘘をつき続けられない。でも、この嘘をつきつづけられれば、何か自分が変わるような気がする……大げさか?
20代も後半、自立せねばと思っていて、転職もめざしているけれど、家を出ると言ったら父は泣くかもしれない。心配性で、私をまだ高校生くらいに思っている父。巡り巡って親孝行できれば、まぁオールオッケーなんじゃないか。お父さん、至らない娘で申し訳ない。悪くない嘘はついて、父の腕時計をつけて、次の居場所を探したい。父が泣いても。

遠征先の仙台で一文無しになって、お金を借りた友達のことと、その後のこと


何回も何回も思い出す瞬間として、「コンサートを見に行った仙台で、お金を使い切って一文無しになった」ときのことを書いてきた。

 

コンサートツアーオーラス、仙台公演から帰れなくなったオタクの話 - 繰り上げスタート

 

ひらりささんから「あのときのことを、Webで記事にしてもいい?」と連絡が来たとき、実をいうと少し考えた。

「自分の失敗談で、不名誉な話だから、全世界に公開されたくない」という気持ちも、なかったわけではない。でも、ひらりささんが書くならいいかと思った。あのときわたしにお金を貸してくれたのは、他でもないひらりささんなのだし。私は本当に、あの数日間のことを死ぬまで忘れないだろうと思う。

ひらりささんの記事公開と同時に、あのとき私が何を考えていたか、書いてみる。FraUに掲載されたひらりささんの記事を読んでから、読んでください。

 

gendai.ismedia.jp

 

私がひらりささんの存在を初めて認識したのは、いつのまにかフォロワー欄にいた、リラックマのアイコンを見つけたときだった。確か大学1年生の頃だったと思う。

 

そのときの私は、アニメやマンガが好きで、二次創作や作品の感想をTwitterでつぶやいていた。マンガのキャラクターをモチーフにして短歌を詠んだり、SSを書いたりしていたころ、いつもツイートを「いいね」してくれる、リラックマアイコンの存在に気づいたのだった。

プロフィールに飛んでみると、「編集者」と書いてあった。当時彼女はWebメディアの会社で、新卒社員として働いていて、私は素直に「すご~い」と思ったのだった。それとなくメディア制作にあこがれていた19歳は、自分のツイートを「編集者」が気に入ってくれることに、ほんのりドキドキした。

そのリラックマアイコンの、4つほど年上のお姉さんが「ひらりさ」さんだということを認識するまでには、そう時間はかからなかった。

 

ひらりささんは、お盆で実家に帰省していてコミケに行けない私が、「Free!の会場限定グッズ、ほしかったな~~~」とつぶやけば、「代行しましょうか?」と代理購入し、それをわざわざ実家まで送ってくれるなどという、めちゃくちゃなやさしさをくれたりした。丁寧な手紙がついていたと思う。

確かファーストコンタクトがそれ(お互い存在を認識して、相互フォロワーではあったが)だったので、本当に驚いた。都会ではこういうのが普通なのかと勘違いするほどだった。

 

その後、京都旅行に来たひらりささんと「Cafe Bibliotic Hello!」で初めて会った。色々話をしながら、この人って素敵だなぁと、しみじみ感じた。この人と仲良くなれたら楽しいだろうなぁと。

気持ちがどこかに通じたのか、ひらりささんと私は、ちょっとずつ親しくなった。ひらりささんも私も手紙が好きだった。特に用事はないけど、ちょこちょこと手紙を送りあったり、LINEでくだらない話をしたりした。

ひらりささんは、私をひらりささんの友達と引き合わせてくれた。それはものすごく刺激的な出来事で、一気に世界がキラキラしはじめた。人と出会って仲良くなることが、こんなに楽しいことだったんだと、私は驚いた。

 

私が東京へ行くときは大体会ったし、彼女が京都へ来るときも会った。謎に一緒に京都で年越ししたこともあった。そういう関係だった。仲のいい年上の、自分の知らない世界で生まれて育って生きている人だった。

数年の間に「この人は、私のことを見捨てないかもしれない」と思うのに、十分すぎるエピソードがあった。だからあの日、仙台で、泣きながら彼女に電話をかけた。

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泊まっていたホテルは、仙台駅近くのアパホテルだった。お金がなくなってしまったことをひらりささんに打ち明けた夜、泣きすぎて腫れた目で湯舟に浸かった。

湯舟に浸かりながらまた泣いていた。今まで正当化していた自分が溶けていく感覚だった。お金を貸してもらえるという事実だけが、本当に命綱だった。一人で不安なまま帰らなくていいんだと、心の底から安心していた。

このあと、結局家族に金銭的に困っていることを打ち明けて、田舎に帰ることになる。けれど、この時はまだ打ち明けられていなかった。打ち明けたら、「自分で決断して田舎に帰る」ではなく「無理やり連れ戻される」になるのではないかと思っていた。けれど、自分ひとりがひっそり抱えていた不安を、友だちの一人が共有してくれたことで、なんとかやっていけるかもしれないとも感じた。

お風呂から上がると、液晶テレビからBABYMETALが流れていた。NHKの特番で、そのとき新曲としてリリースされた「KARATE」を歌っていたと思う。これを聞いてまた泣いた。この夜から家に帰りつくまで、動画サイトでずっとBABYMETALを聞くことになる。だから今でも、BABYMETALを聞くと当時の自分を思い出す。その日は髪の毛も濡れたまま、顔に何も塗らず、泣いたまま寝た。

 

翌日起きる。もちろん目が腫れていて、髪はパサパサで、顔はカピカピだった。起きてすぐ、ひらりささんに「起きた」と連絡した。

前日まで友達と会っていたので、それなりの恰好をしていたのだけれど、その日はもう何を着るか考えるのも無理だった。寒かったら着ようと思っていたコートを着て、ストールをマフラー代わりにぐるぐる首元に巻いて、すっぴんのままマスクをした。髪は適当にとかし、適当にお団子にした。どうせまた道中で泣くだろうと思った。

荷物をまとめ、早めにチェックアウトした。その日の朝、ひらりささんが仙台駅構内の郵便局に宛てて送金するから、と言ってくれていたので、とにかくその郵便局の前で待っていようと思った。

前日からほとんど何も食べていなかった。「せっかく仙台に来たのだから牛タンを食べよう」と、一緒にコンサートに行った女の子と「利休」に行ったのだけど、私はもうそのときお金がなくて、デザート用にメニューに載っていたあんみつしか食べられなかったのだった。その女の子には「体調が悪いから食べられない」と言ってごまかした。

その女の子は、夜行バスまでの時間をつぶすため、私が泊まったホテルの部屋に数時間いてくれた。「お金がないから貸してほしい」と言うなら、それが絶好のチャンスだった(お金を借りるのに、絶好もチャンスもないけれど)。でも、私はその子に「お金がない、助けてほしい」とは言えなかった。彼女が年下だったからだった。たった一つ年下なだけなのに。どうしても何も言えないまま、私はバスに乗る彼女を見送った。

そのせいで、おなかは減っていた。その時、確か手持ちは200円ほど。お金が受け取れるなら何か買ってもよかったけれど、所持金が本当にゼロ円になってしまうことが不安で買わないまま、歩いて仙台駅へと向かった。

仙台駅近くのコンビニで、キャリーケースを着払いで自宅へ送った。ひらりささんから「飛行機の貨物預かりの重量オーバーが不安なら、着払いで送ってしまえば?」とアドバイスを受けていた。ミニストップかどこかだったと思う。店員の男性がクロネコヤマトで着払いを受け付けてくれた。ショルダーバッグ一つだけを持って、私は仙台駅構内の郵便局へ向かった。

 

局の前には、ベンチがいくつか用意されていて、その中の一つに座った。

疲れていた。背中をまるめて座り、ひらりささんから連絡が来るまでそのままでいた。その間もずっとBABYMETALを聞いて、時々泣いていた。怖かった。知らない土地にいることが、子供のように不安になった。

ひらりささんから連絡があった。午前中に郵便局で手続きをしようとしたが、手続きが煩雑で完遂しなかった。仕事もあるので、一度会社に戻る、すぐもう一度手続きするので待っていてほしいと。本当に申し訳なかった。私はまたうずくまった。

その日は平日の朝だったので、いろんな人が私の前を通り過ぎて行った。今から仕事へ行くらしいOL風の女性、サラリーマン風の男性、制服を着た女の子。大きなキャリーケースを転がした旅行者らしい人。どの人たちにも行先があって、みんなすたすたと通り過ぎていく。世間から外れてしまったような感覚があった。私は、今通り過ぎて行ったどのジャンルの人とも違うんじゃないかと。ただじっとひらりささんからの連絡を待ち続けた。時間はゆっくり過ぎていく。

 

昼前頃、再びひらりささんから連絡があった。手続きがうまくいったので、仙台駅構内の郵便局からお金を受け取れると思う、と書いてあった。すぐに郵便局に入り、番号札を取って待合ベンチで待った。

心臓がどきどきとした。もしこれで、何かトラブルがあってお金を受け取れなかったとしたら?

番号が呼ばれた。窓口で「電信現金払の受け取りなんですが」というと、女性職員は少し困った表情で「少々お待ちください」と言った。普段あまりない、イレギュラーな手続きなのだということが分かった。奥から父親くらいの年の男性職員が現れて、パーテーションで仕切られたスペースに案内された。保険証で本人確認し、署名をした後、捺印を求められた。普段なら、コンサートに印鑑なんて持っていかない。けれどそのときは偶然、奨学金の手続きをしていた関係で、印鑑を持っていた。本当に偶然だった。

 

私は捺印し、カルトンに乗った1万円札が3枚、目の前に差し出された。また泣きそうだった。ゆうちょ銀行の緑色の現金封筒に3万円をおさめ、私は郵便局を出た。


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ひらりささんに現金を受け取れたことを連絡して、さっきまで自分が座っていたベンチにまた腰かけた。突然空腹が襲ってきた。何か食べようかな、とひらりささんに連絡すると、せっかく仙台なんだから、牛タンでも食べて帰りなよ、と返事があった。元気づけてくれているのだとわかった。申し訳なかった。罪悪感と情けなさがつのった。

この精神状態で牛タンは食べられず、駅構内にあったフレッシュネスバーガーに入った。充電スポットがあったからだった。

スマートフォンの充電をしながら、ひらりささんが送ってくれた1万円札3枚のうちの1枚をくずし、ハンバーガーを食べた。味があまりわからなかった。自業自得だけれど、疲れていた。

そのとき、昼過ぎだったと思う。それからしばらく、充電をしながらネットを見ていた。就職サイトやSNSなど。これからどうしよう、と、ずっと考えていた。どうすれば自分の人生が前に進み始めるだろうかと。自分は何をしたいのか、これから何をするべきなのか。考えていれば、いくら時間があっても足りなかった。

2時間ほどそこにいたと思う。長居しすぎたと思い、店を出た。夕方の飛行機を予約していたが、早めに空港へ向かうことにした。空港で座っていれば、誰にも迷惑は掛からないだろうと思った。

乗り換えを調べ、仙台空港まで電車で向かった。

電車に揺られているとき、ふと「私には、やりたいことが何もないんだ」という言葉が頭に浮かんだ。電気に貫かれたような感じがした。

自分が行き詰まっているのは、「やりたいことをやらなくちゃ」と思っているのに、やりたいことがわからないからだと思っていた。けれど、「やりたいことがわからない」のではなく「やりたいことが何もない」のだった。それが正しかった。手遅れになって気づいた自分の愚鈍さが恥ずかしかった。

電車の中だけれど、泣いた。近くの人は驚いたかもしれない。

 

空港に着いた。あたりは暗くなってきて、肌寒かった。LCCの受付を済ませて、保安検査も早めに通った。もう何もすることはなかった。ただ座っていたかった。

搭乗口のすぐ前の待合スペースで、またぼーっと座った。途中空腹に気づいて、空港の売店じゃがりこを買った。確かチーズ味だったと思う。私はビニール袋の中にじゃがりこのパッケージを突っ込んだまま、もくもくと食べた。

大きなガラス窓の向こうに、飛行機が止まっているのが見えた。月曜日の夕方、仙台空港から飛行機に乗る人は、あまりいないようだった。待合スペースには、私のほかには、離れた席に学生らしき男の子たちしかいなかった。よく磨かれた窓ガラスに、飛行場のキラキラした灯りが映っている。

 

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感情のチューニングがずっとおかしくて、私はそれを見てまた泣いた。ずっと泣いていた。マスクの中はぐちゃぐちゃだったけれど、私は泣き続けた。知っている人は誰もいない。どんなにおかしな人だと思われても、関係なかった。

グランドスタッフの落ち着いた声のアナウンスが流れるたび、世界への申し訳なさがあふれた。私に生きている価値があるんだろうかという疑問は、ずっと前からあった。やりたいこともない、やれることもない、美しくもないただの22歳に、何の価値があるのだろうと思っていた。

けれど、ひらりささんという奇特な女性は、平日の午前中、時間を割いて郵便局へ行き、私のために3万円を送ったのだった。それは変えようがない事実だった。その事実をどう受け止めたらいいか悩んだけれど、「私はひらりささんに、3万円を貸す価値がある人間だと思われている」という、事実通りの受け取り方しかできなかった。それで十分だった。それで十分すぎた。その事実が私を支えてくれた。その事実があるから、なんとか京都へ帰ろうと、立ち上がって飛行機に乗ることができた。

 

飛行機に乗り、関西空港に着いた。

 

ここからの道のりが長いことは知っていた。ICOCAに2000円ほどチャージし、京都方面の電車に乗った。夜遅い電車には、お酒の入った若者たちがたくさん乗っている。私はずっと下を向いて、彼らを見ないようにしていた。京都府内に入って、ここからは、よく知っている道のりだった。やっと少し心がほぐれたような気がした。途中まで特急に乗り、途中で普通に乗り換え、やっと当時の最寄り駅に着いた。

歩いて部屋へ戻り、扉を閉めて鍵をかけたとき、もう24時を回っていた。ひらりささんに帰宅したことを報告して、すぐシャワーを浴びた。長い長い1日だった。

ひらりささんが貸してくれた3万円を、わたしは田舎にかえってから返した。返したけれど、私がお金に困って、ひらりささんが私にお金を貸した、貸した過去があるという事実はそのままだ。人からお金を借りるということは、そういうことだ。


けれど彼女は、どうしてだかわからないけれど、私に本当に目をかけてくれて、田舎に帰って、自分の幼稚さや家族への申し訳なさで、精神的に破綻した私の話を延々と聞き、はげまし、書きものの仕事を振ってくれた。今も振ってくれている。私個人にとって、彼女との関係が「ずぶずぶな関係」だと言えばそうだろうし、ひらりささんと私の関係が「友達」とどうかと言われれば、違うのかもしれない。私のダメさを指摘しようと思えばいくらでもできると思うし、ひらりささんが私に「そういう」扱いをしていることが、生理的に許せないと思う人もいるかもしれない。大学1年生の、ひらりささんって素敵だなぁと思っていた私と、そんな私にやさしくしてくれていた彼女との関係とは、確実に変わった。


けれど私は、あの3万円に今も支え続けられているのだった。あのとき「3万円を貸す価値がある」と思ってもらえたことで、ものすごく分かりやすく、私は生きていてもいいんだと思えた。やり直す価値はあるんだと思えた。私は今もひらりささんを「いいな」「いい人だな」と思っているし、親しみを持ちながらも尊敬しているし、友達としても面白い人だと思っている。そういう人に、手間をかけて「お金」という一番わかりやすい価値を送ってもらえたことが、圧倒的な精神安定になった。


ひらりささんは私を助けてくれたし、助けてくれるけれども、やっぱり最後は私が頑張るしかない。これは確か、ひらりささん本人が私に言ってくれた言葉だったと思う。田舎に帰って頑張れない私に、「最後はこみねが頑張らないと」と言ってくれた。ひらりささんは自転車の練習中、膝を擦りむいて「もう乗れない」と泣く私を、もう一度自転車に乗せてくれた。うしろを持って一緒に走ってくれた。この先一人でスイスイ自転車に乗れるようになっても、それは忘れられないと思う。ひらりささんは別に、忘れないでほしいとは思ってないだろうけども。


私は今も、ひらりささんのみならず、いろんな人に頼ったり、助けてもらったり、甘やかしてもらったりして日々を過ごしている。私が仙台でお金がないことを打ち明けられなかった女の子とは、今も毎週連絡を取り合う中だし、毎年変わらず一緒にコンサートへ行くし、ほかにも私のつたない文章を読んで、私のことを褒めてくれたり、存在を認めてくれる人がたくさんいる。だから、頑張り続けたいと思う。自分の気持ちはコロコロ変わるし、いまだによくわからない。人の気持ちのために頑張ることが、私の今の最適解だと思う。


先日、この話にちょっとしたオチがついた。

海外渡航中のひらりささんから連絡があり、「どうしても今日中にしないといけない振込があるが、海外からはできないので、代わりに立て替えておいてくれないか」と言われたのだった。俳優さんのトークショー代で、2万円と手数料。私は昼休みに銀行へ走り、ATMから振り込んだ。これができるようになったのだと思うと、ちょっと嬉しかった。し、単純にお願いしてもらえたことも嬉しかった。ひらりささんは「これ、ブログに書いていいよ」と、インドネシアから連絡をくれて、私はこうしてオチのネタとして書いている。この夏、東京で会うので、話しながらパフェとか食べたいんですけど、いかがでしょうか。これは私信です。

 

サンドイッチを選ぶように

元来、自分が優柔不断だということは自覚している。


基本的に「飲食店で最後まで注文を決められない人」だし、「買い物をしに来て、悩み疲れて結局買わずに帰る人」だし、「着ていく服に悩んだあげく、出かける直前、選んだ服の違和感に耐え切れず全部着替える人」だ。

結局決めきれず、人に決めてもらったり、時期を逃してしまったりすることは大いにある。日常生活でのちょっとした決断ならそれでもいいかもしれないが、時間をかけて考える「人生の分岐点」的な決断も、同じように優柔不断な性格が顔を出す。

私はとにかく、決断をギリギリまで引き延ばして、決断したあとも自信がない。ああだこうだと悩んだ結果、「やっぱり違う選択肢を選ぶべきだったのかもしれない」とうじうじ悩む。何もかも人に決めてもらえれば一番いいのかもしれない。着る服から働く職場まで、ああしなさいこうしなさいと言ってもらえる神様のような人がいれば、私はものすごく快適に人生を送れるのかもしれない。

前回、この「りっすん」のコンテストのために書いたブログで「就活に失敗したエピソード」を書いた。

http://kuriage-start.hatenablog.com/entry/2018/05/16/002455


そのときは、ただ「就活に失敗した」と書いたのみで、なぜ失敗したか、どう失敗したかは書かなかった。

実は私は、就職活動をしなかったのだった。失敗したというより、迷って迷って迷った挙句、何も選べずに逃げてしまった。

この世にあまたある仕事の中で、自分が最初に選ぶべき仕事は何なのか?「やりたいこと」を仕事にするべきなのか?将来の安定性はどの程度担保されているのか?この仕事を選んだとき、親は何というだろうか?私はどう生きていけばいいのか?そんなことを考えていた。

友人たちが何社ものエントリーをするなか、就活サイトを見るとめまいがした。人生の選択肢が、星の数ほどそこにある。どうすればいいかは、自分で決めるしかない。

誰にも話せないままでいた。ある日、引き延ばした迷いの糸が、ついに切れてしまった。私は一社の採用試験も受けず、一社のエントリーもせず、一通の「お祈り」メールも採用通知も受け取らなかった。

そして、終わった。星の数ほどある選択肢を選びきれずに、私は家族の用意してくれた「実家に帰る」という、あたたかいのにひんやりとした選択肢を受け取った。それは「決断」ではなくて「受容」だった。母や父が、選択肢に溺れて死にそうな私のために、とりあえずこれを掴んで岸に上がってきなさいと、一番太い選択肢を差し伸べてくれた。私はそれを掴んだだけだった。

日常生活は、決断の連続だ。小石や砂粒のような決断と、大きな岩のような決断が組み合わさって人生になる。シミュレーションゲームの分岐にすらならない些末な決断を、毎日膨大な回数繰り返すなかで、どんな会社に就職するかとか、この人と結婚するかしないかとか、いわゆる人生の分岐点と呼ばれる決断もこなしていかねばならない。

決断するには技術が必要だ。決断できなかったことに愕然として、自分の技術力のなさをかみしめた私は、つくづくそう思った。技術がなければ選べない。

決断する技術がある人の、驚くほどあざやかな決断を目の当たりにすると、私は「おおっ」と思うのである。そういう決断する技術がある人は、べつに選択肢のうちどれが正解かがわかっていて決断しているわけではない。ただ、「今からする決断の重要度」を、正しく把握している。

迷っているうちは、「何を選ぶか」「どう決断するか」が、ものすごく重要なのではないかという気がするものだ。

目の前にあるこの小さな黒いボタンを押したら、即座にミサイルが発射されちゃって、あの美しい小さな島はあのポンコツ独裁者のせいで永遠に失われてしまったのです……と、はるか未来の歴史の授業で語られてしまうのではないかとか、そういう意味の分からない妄想に支配される。

でも、大体ミサイルを発射するためには、いろんな人のいろんなハンコが必要になる。会社員をやっていて学んだ。そして、とうとう発射ですよというときに押すボタンは、目立つ色で塗られていたり、ガラスのカバーが付いていたりするものだ。

「取返しのつかない大変なこと」を引き起こすには、いくつもの過程でことごとく間違えた決断をする、もしくは、黄色と黒でシマシマにカラーリングされ「危険!!!」と注意書きされたボタンを不用心に押してしまう必要がある。


たった1回の、軽微な決断で破滅する方が難しい。目の前にある小さな黒いボタンを押したくらいのことで、何かが消えてなくなったりしない。「今からする決断の重要度」を正しく把握することこそが、決断する技術なのではないかと思う。

決断できない、決断することが怖いと泣いていた就活生の私は、自分がするたった1回の決断が、人生を破滅させてしまうのではないかと思っていた。「自分とミスマッチな会社に入社する」という決断ですべてが終わるんだと思っていた。そんなはずはない。何を選んだところで、その決断を正解にするのは、決断したあとの自分だ。決断した瞬間にすべてが決まってしまうなんて、思い込みで思い上がりだ。私は神様でも何でもないのだから。

そう思うようになってから、決断することに対する苦手意識が和らいだ。「何を選んでも大丈夫」とまではいかないが、「この選択肢を選び間違えても、終わりにはならないな」と判断できるようになった。立ちすくんで動けなくなってしまうことはなくなり、「どう決断するか」より、「制限時間内に決断する」ことを重視できるようになった。

昼間のコンビニ。私はサンドイッチコーナーの前に立ち、目に入ったタマゴサンドとフルーツサンドを見比べる。パッとフルーツサンドを取ってレジに向かい、会計を済ませて自動ドアをくぐる。

研ぎ澄まして行こうぜ、と思う。目の前にある選択肢の本質を理解して、制限時間内に選び取る。それは自分の努力で磨ける技術だ。


フルーツサンドをひとくち食べる。おいしかった。やっぱりフルーツサンドで正解だった。でも、私はたぶんタマゴサンドを選んでいたとしても「やっぱりタマゴサンドで正解だった」と言えたと思う。そういうものなのである。ミサイル発射の決断でもないかぎり、大体の決断とはそういうものだ。何もかもサンドイッチを選ぶように決断できたら、どんな景色が見えるのだろう。


『素敵な彼氏』桐山直也くん役をジャニーズJr.にください(右手を差し出しながら)!

急にときめきを摂取したくなって、川原和音『素敵な彼氏』を一気読みした。

https://www.amazon.co.jp/dp/B01EJ7AK2W/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

本作はめんどくさいことを全部ぶっとばして「素敵な彼氏~~~!!!」となれる最高の語彙力消失本なので、生活に疲れていて幸福な気持ちになりたい人はぜひおすすめです。私も昨晩はクソ安眠できました。ところで、『素敵な彼氏』における「素敵な彼氏さん」は桐山直也くんという青年なのですが……。

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(表紙の黒髪の彼)

自担と苗字が一緒なの地味にヤバイけど、いやでも照史くんと直也くんはキャラ被りゼロみたいな、おいおい妄想の中でも重ねられねぇよ両方向のファンから怒られるかもしれないよという感じ。まぁ照史くんがちょっとシニカルだけど来るもの拒まず去る者追わずで、好きな子にだけわがまま出ちゃって誰にも譲れないみたいなキャラだったら地球が爆発していたかもしれないので、照史くんは今の照史くんが一番いいです。

で、この平成最後の超最高ときめき兵器桐山直也くん、ドラマでやるなら誰?みたいな……読んだら思い浮かべるよね……いろんな顔をね……。実際映像化するとなったらきっと若手俳優さんに御鉢が回りそうですが、私は根っこまでジャニオタなので、遠くの御鉢を引きずり寄せてジャニーズJr.で桐山直也くんやるなら???誰???という、私だけが楽しい記事を書きたいと思います。

 

①高橋恭平くん(なにわ男子)

https://j-island.net/artist/person/id/53

高橋くん、演技仕事来ないかな……テレビ映えすると思うんだけどな……と常々思っている。ちょっと桐山くんにしたら細っこすぎるかなぁ&顔がハッキリしすぎかなぁとも思うんですが、なんとなく全体のけだるい雰囲気がぴったりかなと。合コンで偉そうに「カウントダウンまでにカレシほしいって言ってんのって誰?」って言い放つ恭平ちゃん、想像するだけでゾクゾクするぜ……(1巻参照)。桐山くんは比較的お勉強ができるキャラっぽいのですが、フィクションの世界で理系男子を演じつつ、帯同のメディア露出でおバカっぷりを発揮する恭平ちゃん、まで受信した。DVDの特典映像のオフショットで、小道具の参考書をペラペラめくりながら「当たり前やけど一個もわからん理系やばすぎ」ってけらけら笑ってる恭平ちゃん……LOVEい……。

 

②本髙克樹くん(7 MEN 侍)

https://j-island.net/artist/person/id/36

かなり直球そうな桐山くんなんですが、個人的にメディア化するならこのくらいがっつりした桐山くんもいいかなぁと空想して楽しかった。本髙くん結構アツいイメージがあるのですが(7 MENのパフォーマンス、結構情熱的だよね……)、その熱さを上手に内に秘めて、ヒヤッとした感じのお芝居をしてくれたら最高。個人的にドラマより銀幕映えしそうだなぁと思う。恭平ちゃんは全体的にはっきりして、湿度の低い、わりと今風の顔立ちのイケメンだけれども、本髙くんは目元とか口元がちょっと色っぽくて湿度のある、古風な美青年!って感じなので、どちらも甲乙つけがたい。作中で、他の男子がふざけてて水をかけられたののかちゃん(ヒロインの女の子)に、桐山くんが「あやまろーか?あやまれ」ってジャージかけてあげながら言うシーンがあるんですが(6巻参照)、本髙くんがやると殺しそうにバチギレしてくれそうでいいです。


作間龍斗(HiHi Jets)

https://j-island.net/artist/person/id/27

えっこれはファンの間で桐山くん=作間くんみたいな方程式が出来上がっていてもおかしくないくらい作間くんなのでは!?!?と途中から思っていた大本命。涼し気~な目元とかめっちゃ作間くんじゃないですか?ちょっと作間くんのが可愛い感じかなと思うけど。あとキャラがつかめないところとか、いきなり距離縮めてきそうなところとか。ひょうひょうとしたところもぴったりだね……。

私は少年倶楽部で見る作間くんが、カメラに抜かれてもむやみにニコニコしていないところがすごく好きなのですが、そういうところも「ぽい」なと思います。歯を見せずに唇でニコっとしてる顔が二次元だよね。彼、あまりジャニーズにいなさそうな、スッキリした、花にたとえるならアヤメとかショウブみたいな色男だと思うんですよね……。桐山くんやるときは(私の頭の中で上映するときは)、衣装とかヘアメイクとか肉体改造とかでちょっと硬派な雰囲気をプラスしてもらえると最高の中の最高になる。作間くんが好きな女の子のために息切らしてコートも着ずに走ってるの想像したら(5巻参照)、手から金粉とか出てきそう。


以上、30分クオリティの私だけが楽しい空想でした。目黒くんとかもどう!?って思ったんですけど、ちょっとめめたんは桐山くんにしてはセクシーすぎるかな?深夜帯になっちゃうよ……って思ったので次点です。